あの感覚に気が付いた時は、自分自身が気持ち悪かった
――デビューされてから、ずっとそう思われていましたか?
水上:うーん……いや、途中からですね。途中でそこにいきかけた自分がいたので、自分で気が付いた時には自分自身が気持ち悪かったです。でも、それはそれで楽なんです。変な話、ベルトコンベアのような動く床に乗っていれば、ある程度進んでいけるのが見えるんです。でも、だんだんと足腰は衰えていく。そのやり方も楽なんでしょうけど、僕は生物として間違ってると思ったんです。それよりも汗をかきながら、ハァハァ言いながら、今しんどいわ! とか言いながら、前を向いて生きていたいと思いました。
――いかなかったのはなぜでしょうか?
水上:いきそうになったというか、いけなかったんです。「もう無理っ!」って、自分から拒否しました。どんなに忙しくても辛くても大変でも、自分の選んだ道が魅力的だと今も思います。
――1月から9月までの9カ月間で、福岡のご実家に帰る機会もありましたか?
水上:ありました。実家に帰って思ったのは、やっぱり水上家って、僕が育った家族コミュニティはすごいなって思いました。
僕が芸能界に入って福岡から上京するときも、「俺、ちょっと東京に行って、揉まれてくるわ! いばらの道行ってくるわ!」と言って家を出て。その間、家族は家族で、きっと僕が想像できないような、いばらの道だったり、舗装されていない道とかを進まなきゃいけないとかあったと思うんです。でもみんなそれぞれの力で乗り越えて元気に過ごしていた。久しぶりに家族と過ごして家族の温かみ、すごさを再確認できたのはとても良かったですね。
ヘアメイク KOHEY
スタイリング カワサキ タカフミ
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水上の原点は甲子園を目指し、プロ野球選手を夢見ていた福岡県にある。小学校2年生から高校卒業まで打ち込んだ野球、そして役者の世界に飛び込んだきっかけは――#3を読む。
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