脚本家・渡辺あやは、最初に構成やプロットを組み立てて書くという執筆の方法をとらない。彼女にとって「脚本を書く」という作業は、まず「世に出るべき物語」が最初にあり、「キャラクター」があり、それを観察し、耳を傾けると、人物がひとりでに動き出し、喋り出すのを、ひたすら書き取っていく作業だという。

 まるで「イタコ」のような執筆スタイルは、最新作『エルピス —希望、あるいは災い—』(カンテレ/フジテレビ)でも変わらなかったという。(全2回の2回目/最初から読む

©文藝春秋(撮影:山元茂樹)

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――過去のインタビューでたびたび答えていらっしゃる「頭の上の方から(キャラクターの行動や発言が書き込まれた)ファイルが届くのを待って、それを読み込んでいく」という執筆スタイルは、この作品でも変わらずでしたか?

渡辺あや(以下、渡辺) そうですね。脚本家としてデビューしたときからずっと、それは変わらないです。でも今回、キャラクターを造形していく過程では、プロデューサーの佐野亜裕美さんへの聞き取りによる部分が大きかったです。

テレビ局に存在する「うっすらと、すごく嫌」な空気

――「テレビ局の裏側」の部分は、実際にテレビ局の社員として長年キャリアを積まれた佐野さんへの質問がそのまま「取材」になっていたんですね。

渡辺 そうなんです。そこはもう、佐野さんが生き証人なので(笑)。バラエティ番組の打ち合わせ風景について細かく教えてもらったり、実際に撮影を見学させてもらったりして、勉強になりました。

 その過程で、本作で描こうとしている「嫌なもの」の正体――「何が嫌か」「どこが嫌か」って、すごく言語化しにくいんだということを知りまして。それは何なんだろうと、一生懸命わかろうとして、佐野さんに話を聞いては、「何となくこういう感じかな?」と精一杯書いてみるんですけれど、「いや、こういうんじゃないんですよ」と突き返される。「もっと、うっすらと、すごく嫌なんですよ」と。

 一見平和で、何も起こっていないように見えるけれど、確実に「嫌なもの」が存在していて、それが薄雲みたいに、ずっとそこにはびこっている。もしかしたら私はそれを、十分に描ききれなかったかもしれない。反省点ですね。