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 その同じときに、世界には「一番貧乏な人は飢え死にですね」という状況があった。片や日本で料理を仕事にしている私の中には「飢え死に」という言葉がなく、どうおいしく作るかとか、栄養があるとか、ボリュームがあるとか……そういうことばかりが頭の中を占めていたと気づかされました。

 そのときもった問題意識が、今の私が生活困窮者の方々の仕事づくりやフードロス問題に関わっていることに、おそらくつながっています。食に関係する者として、「飢えさせない」を考えることが、だんだんと私のテーマになりました。

まわりの友だちもみんな「お金がない」若いころ

 そんな私も、若いころはもちろん貧乏でした。もやしだとかパンの耳だとかの上手な食べ方を考えたり、ボーイフレンドがアルバイト先からもらってくるパンを分けてもらったり。お金を貯めたくてインスタントラーメンばかり食べている私を見かねた友人が、どこからかくすねてきた牛肉やら何やらで鍋いっぱいのカレーを作ってくれたときには、急に栄養がついちゃったものだから、夜中にぶーっと鼻血を出したり。それでも、深刻にならずに笑っていられました。

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 当時はまだコンビニも少なく、食べ物は買うものではなく自分で作るものだという感覚が残っていました。ファストフードは逆に高い感覚もあったし、まわりの友だちもみんな「お金がない」。でも、世の中は成長する方向だったせいか、今と違ってどこかのんきでした。お金はなくとも、今の日本の貧困と比べれば深刻度は低かったのかもしれません。

 そして、もうひとつ違うのは、友だちに「お米貸して!」と言える関係があったことかもしれません。今はもう少し個々の生き方が閉ざされている気がします。「お金がないと暮らせない」と思い込んじゃう社会になっていて、それが、飢えとの距離を近づけているのかも。そういう社会の価値観と仕組みが変わるといいなと思うんです。そして、そこから抜け落ちているのが、ちょっと言葉にするのが恥ずかしいけれど、広い意味の「愛」なのかもしれないなあ、とも思うんです。