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家の近くで爆撃が……

――最近の状況について、ご家族からはどう聞いていますか?

ズラータ 近くまで爆撃が来たと聞いています。ドニプロの人がよく買い物をする場所があって、個人個人が自分の持っていた古いものをいっぱい売っている。そこに、爆弾かロケットの破片が当たったそうです。駅の近くで、私の家からも近い。

――ウクライナを出国するにあたって、お母さんの働きかけが大きかったそうですね。お母さんから日本に行くように言われたと。

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ズラータ はい、そうです。

――ズラータさんが日本に行きたいという話は、普段からお母さんにされていたんですか?

ズラータ 頻繁に話していました。私はいつか日本に行くと。だからお母さんが、戦争が始まってから日本への行き方を調べてくれたんだと思います。

――日本行きについては、お母さんが調べたんですね。

ズラータ 戦争で専門学校が休みになって、私がおばあさんのところに行っている時、お母さんがひとりで調べてくれました。

――ウクライナで『人間失格』の文庫本初版を買われたと著書にありました。その取引をした日本人に身元引き受け人になってもらったんですよね。

ズラータ 身元引き受け人になってくれたのは出品者じゃなくて、日本の店から他の国に配達する会社の人ですね。

――出品者ではないんですね、失礼しました。

ズラータ お母さんがその人とやり取りをしていたら、その人から「何か手伝うことはないか。ぜひ日本に来てください」というような内容の連絡が来たそうです。

いま日本に行かなかったら、一生行けないと思った

――他にもポーランドに入国したあたりで日本のマスコミを見かけた時、お母さんから「話しかけてみな」と言われて、そこで話しかけたことが後に日本に行く助けになったり、この本の出版に繋がったりと、お母さんが様々なきっかけを与えてくれましたね。それについてどう思いますか?

ズラータ すごくありがたいです。私はお母さんがそこまでしてくれると思ってなかったので、いい意味で驚きました。

――もし、戦争がなかったとしたら、日本に来るのは遅くなったかもしれませんか?

ズラータ 多分、数年後になったと思います。専門学校の卒業後とか、ウクライナで何かの仕事をした後だったかもしれないから、結構時間がかかったと思います。

――ある意味、戦争によって早く日本に来られたことになりますよね。

ズラータ そうですね。戦争によって、もしかしたら国から出られない、街が壊されて死ぬかもしれない、今行かなかったら一生行けないかもしれないと思ったから、お母さんは私を日本に送ろうとしたんだと思います。私も今行かなかったら一生行けないと思っていました。

――ロシアの侵攻前の話になりますが、ゼレンスキー大統領はかつて、俳優やコメディアンをやっていたんですよね。その頃はどんな印象でした?