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 X氏は2014年5月に鹿児島市、11月に垂水市にクリニックを開いており、A子さんは2015年5月に垂水市のクリニックに就職した。X氏について、A子さんは母親に「日本を変えるくらいの立派な先生だ」と賞賛していたという。母親から見ても仕事はかなりのハードスケジュールだったが、離婚のショックから立ち直った娘が前向きに仕事に取り組む様子にほっとし、「完全にX氏のことも信頼してしまっていた」と振り返る。

X市のクリニックがあった垂水市のビル

「X氏から昼夜問わず頻繁に連絡がある」「食べ物を食べられない」

 しかし、X氏のクリニックに勤めるようになってほどなく、A子さんの行動に異変を感じるようになったという。それまでは月に1度ほどは顔を見せていた実家にあまり帰らなくなり、電話の頻度もみるみる減っていった。そして、決定的な出来事が2016年4月に起きた。A子さんの母親は、苦渋の表情で当時のことをこう語る。

「A子の伯父の葬儀で久しぶりに実家へ帰ってきた時に、A子がひどく痩せていることに親族一同驚きました。57~58キロだった体重が40キロ台まで減ったと言っていました。『X氏から昼夜問わず頻繁に連絡がある』『食べ物を食べられない』と疲れた様子で、『精神保健福祉士としての仕事の他にも、総務として出張に同行したり事務方の業務もしている』とも言っていました。5月に帰省した時にA子と一緒に買い物に行ったのですが、A子はずっと誰かと電話をしていました。今思えばあれもX氏だったのかもしれません」(A子さんの母親)

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取材に応じたA子さんの母親。裁判所でも真剣な表情でメモを取り続けていた

 5月の時点では、A子さんはX氏について『(X氏が)クリニックの経営や人間関係でつらい思いをしているので私が助けたい』と話していたという。しかし『薬をもらっているけど眠れない』『身体が辛い』とA子さんが疲労を訴える度合いは日に日に増していった。そしてA子さんが自殺する6日前の2016年8月10日、X氏はA子さんの実家を訪れたという。

「A子がX氏を連れて来たんです。当時はA子の父親がリウマチや脳梗塞で苦しんでいて、その精神状態を心配してX氏に診察してもらおうという提案でした。私はX氏と会ったのはこの時が初めてで、2人の間で何があったのかは当然知りませんでした。それでもA子が激やせするほど仕事に苦しんでいるのは明らかだったので、そのことをどう考えているのだろう、と不審には思っていました」(同前)