県警は正午過ぎ、地元の猟友会にクマの射殺命令を下す。それから猟友会会員数名により運動場周辺で動き回るヒグマ6頭の射殺が始まったが、4頭を撃ったところで2頭がプレハブ小屋に隠れたため、重機でその小屋を壊し、最後の1頭を射止めたのは午後4時になろうとするころだった。
脱走した6頭は体長1m50㎝~2m、体重250~300㎏前後の成獣ばかりだった。約4時間をかけて射殺されたが、中には立ち上り、仁王立ちの態勢で威嚇してきたヒグマもいた。
施設に面していた国道341号は3時間封鎖され、鹿角市は午前11時に「クマ脱走対策室」を設置した。
八幡平3自治体に連絡して注意を呼びかけたほか、防災メールを使って市民にも連絡。教育委員会は、市内14の小中学校に対して屋外活動を控えるように要請し、下校は保護者の迎えを求めるなど物々しい警戒態勢が敷かれていた。
慢性的なエサ不足と管理体制の不備が原因か
被害者の受傷状況は凄惨だった。女性2人は、どちらがTかSか判別できないほどで、同日、遺体を司法解剖した県警の報告によると、悲鳴を上げたTの死因は頸椎損傷。Sの死因は外傷性ショックで、顔はほとんど原形をとどめず、右腕と左腕の指がちぎれた状態だった。2人は飢餓状態のヒグマに襲われ即死状態で、のちにヒグマの内臓からは人間の肉片や毛髪、衣類などが確認された。
ヒグマたちはなぜ飢餓状態だったのか。それは、この施設の劣悪な管理・経営状況が関係していた。「八幡平クマ牧場」は、国道沿いに“本州随一のクマ牧場”と立て看板を掲げるも、赤字続きで経営者が何度も変わる、従業員3人の零細企業だった。
そして廃園を目前に、従業員3人のうち2人が展示していたヒグマによって死亡するという最悪の結末を迎えた。
クマたちにとってエサが充分でないのは日常だった。それまでエサは、大館市立総合病院から、入院患者の食事の残飯を週3回、約50㎏ずつ無償で提供されていたが、事情を知る関係者によると「それでも足りているようには見えなかった」という。