1965年(122分)/東宝/2750円(税込)

 十年がかりのプロジェクトとなる、脚本家・橋本忍の評伝を書いている最中だ。

 橋本脚本の作品の多くには、共通する特徴がある。それは、主人公が状況を打破せんと奮闘すればするほど、自身の力ではどうにもならない事情のために状況が悪化、やがて破滅的な結末を迎える――という理不尽な悲劇性である。

 たとえば『真昼の暗黒』『私は貝になりたい』『切腹』『仇討』『人斬り』『日本沈没』『八甲田山』――─などが特に顕著な作品といえる。

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 今回取り上げる『侍』もまた、自身の闘いが理不尽な事情で水泡に帰す展開だった。

 舞台は幕末。貧しい浪人の新納鶴千代(三船敏郎)は、我が名を高めて仕官の道に繋げるため、井伊直弼(八代目松本幸四郎)を暗殺せんとする水戸浪士の一団に参加する。鶴千代は高貴な侍の落とし胤だというのだが、自身はその出自を知らなかった。そして、鶴千代の父親こそ、実は井伊直弼その人だった――。

 橋本は本作を脚色する上で、原作『侍ニッポン』を大きく改変している。まず大きいのは、鶴千代の「士分に取り立てられたい」という想いを強調している点だ。生まれのために、いくら腕が立っても貧しい生活を送らざるをえない鶴千代の惨めさを、橋本は際立たせている。この状況を打破するためには、なんとしても暗殺を成功させるしかない。だが、その想いのために鶴千代は悲劇に陥ってしまうのだ。

 浪士の頭領・星野監物(伊藤雄之助)は鶴千代を巧みに利用、内通者の疑いをかけられた同志の栗原(小林桂樹)の粛清を命じる。栗原は鶴千代の親友。一度は拒む鶴千代だったが、断れば仲間から外すと脅され、止む無く栗原を斬る。だが、それは冤罪だった。全く報われない。

 監物を演じる伊藤の、飄々とした奥底に陰湿な冷酷さを漂わせる怪演が、「この男に従ってもロクな結果にならない」という展開を示唆し、三船の熱演もあいまって、鶴千代の奮闘ぶりが哀れに映し出されることになっていた。

 そして、終盤に最大の改変点がある。原作や過去の映画化作品では、直弼が父親だと知った鶴千代の葛藤が描かれるのだが、本作はそうでない。

 直弼が実の父だと知らぬまま桜田門外の変に臨み、そして自らの手で討ち果たすのだ。父の首級を高く掲げる鶴千代の姿で物語は終幕する。だが、そのバックに流れるナレーションは、監物によって鶴千代の存在はなかったことにされた――と伝えていた。彼の末路は、この意気揚々とした姿と対極的なのだろう。そんな予感が、苦い余韻として残されることになる。

 この容赦ないまでの理不尽。まさに橋本脚本の真骨頂だ。