倫理学者の児玉聡さんによれば、「20世紀のオックスフォードの哲学者は英国のコメディでも取り上げられるほど奇行が多かった」という。哲学者たちの多種多様な人生とその思想は密接に結びついている。
ここでは、児玉さんによる「Webあかし」の連載を書籍化した『オックスフォード哲学者奇行』(明石書店)から一部を抜粋。美しい容姿と声を持ちながら、オックスフォード哲学者の中でも「別格」の奇人だった女性哲学者・アンスコムについて紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)
◆◆◆
「ズボンでは入店できない」と言われたアンスコムは…
奇人変人の多いオックスフォード哲学者の中でも、エリザベス・アンスコムは別格の観がある。このことはアンスコムの名を冠するアンスコム生命倫理センターのウェブサイトにも彼女の奇行がいくつも紹介されていることからも推して知ることができる。
(当時の大学の規則ではスカートをはくように要求されていたにもかかわらず)アンスコムはいつもズボンをはいていた。彼女は葉巻を吸い、しばらくの間は片めがねを使っていた。
伝え聞くところによると、彼女がボストンの洒落たレストランに入ろうとしたところ、婦人はズボン着用で入店することはできないと言われた。そこで彼女はその場でズボンを脱いで入店した。(注1)
当然ながら、これは序の口である。
女性哲学者が活躍できたワケ
アンスコム(G. E. M. Anscombe, 1919~2001)はフィリッパ・フット、マリー・ミジリー、アイリス・マードックと同世代の女性哲学者である。この世代は、第二次世界大戦中で男子学生の多くが従軍していたため、女性が活躍しやすい時期であった。ミジリーはこの時期のことを次のように回顧している。
若い男たちが延々やかましく騒いで女性の気を散らすことがなかったのがよかったのだと思います――本当に哲学をやりたいと思って勉強している人しかいなかったですし。それに、将来がなさそうだったから、就職のことを考えている人もいませんでした。(注2)
この時期、ライルやオースティン、エア、バーリン、ハートなどの男性哲学者たちはみな諜報機関等で働いていたが、アンスコムらと同世代のヘアなどは一兵卒として従軍し、シンガポールで日本軍の捕虜となりビルマで線路を作る仕事をさせられていた(注3)。