あるとき、アンスコムはいつにも増して無礼なコメントを講義中にしたため、恐れをなしたウォーノックは講義終了後にそそくさとモードレンコレッジの外に出て一人で帰ろうとした。しかし自転車の鍵を開けようとしてもたもたしているとアンスコムに追いつかれてしまう。
そこで彼女は「ウィトゲンシュタインがあんな紛い物を生み出したと考えると、なんていまいましい!(To think that Wittgenstein fathered that bastard!)」というアンスコムの渾身の罵倒を聞かされたという(注6)。
しばらくあとに、ウォーノックは勇気を振り絞って、現在の(いわゆる後期)ウィトゲンシュタインはオースティンらが講義で主張していることの多くに同意するんじゃないでしょうかとアンスコムに尋ねた。すると、アンスコムはわなわなと怒りに震え、顔を真っ青にしてこう言ったという。
「もしあなたがオースティンとウィトゲンシュタインの間に何か一つでも共通点があると考えるのなら、あなたはウィトゲンシュタインについて私が教えたことをまったく理解していなかったということだ!」(注7)
アンスコムはオースティンの「土曜朝の研究会」には招待されなかったが、その理由の一端が垣間見えるエピソードである。
ウォーノックはこの話の前後にオースティンやライルのオックスフォード哲学とウィトゲンシュタインの哲学との関係について興味深い思索を行っているが、その紹介は他の研究者に任せることにしよう。
アンスコムはウォーノックを見放した?
アンスコムはウォーノックが道を踏み外さないように(すなわちオックスフォード哲学に影響を受けないように)と努力していたが、結局それはうまくいかなかった。アンスコムの意に反して、ウォーノックは戦後新たにできたB.Phil.コース(日本の大学院の哲学修士課程に相当)に進学を決めてしまったからだ。ウォーノックはアンスコムにこう言われたという。
「あなたは最悪な過ちを犯してしまった。なぜなら第一にあなたには哲学の才能がなく、第二にオックスフォード哲学の泥沼にさらに飲み込まれてしまうからだ。」(注8)
ウォーノックはこれがアンスコムと長い会話をした最後の機会だったと言う。アンスコムがウォーノックを見放したのか、あるいはウォーノックがアンスコムの言動にいいかげん付いていけなくなったのか。
荒っぽい言葉遣いが破壊力を増すワケは…
マリー・ウォーノックは、エリザベス・アンスコムに最初に出会ったときの印象について、自伝の中でこう語っている。