倫理学者の児玉聡さんによれば、「20世紀のオックスフォードの哲学者は英国のコメディでも取り上げられるほど奇行が多かった」という。哲学者たちの多種多様な人生とその思想は密接に結びついている。
ここでは、児玉さんによる「Webあかし」の連載を書籍化した『オックスフォード哲学者奇行』(明石書店)から一部を抜粋。劣等感や妻の男性関係に悩んだイギリスの哲学者・ハートの人生を振り返る。(全2回の1回目/後編を読む)
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2020年4月。英国から帰国して早ひと月が過ぎた。最初は対岸(というか遠い国)の火事だった新型コロナウイルス感染症も、私の帰国間際には英国でも深刻になりつつあった。
帰国直前のロンドンは観光客が少なくてよかったが(おかげでヒースロー空港への便が良いパディントンの良いホテルに安く泊まれた)、帰国後まもなく英国全土がロックダウンしてしまった。英国は日本と違って罰則付きの外出禁止令なので、正当な理由なく外出して罰金を取られる人も出ているそうだ。
オックスフォードではヒラリーターム(春学期)の最後の1週間(3月第1週)はセミナー等の中止が相次いだが、その後はオンラインで開催されているようだ。
苦悩する男、ハート
それはともかく、今回は法哲学者のH・L・A・ハートの話をしてみたい。ハートは代表作『法の概念』や同性愛行為の非犯罪化の是非をめぐるパトリック・デブリンとの論争で日本でもよく知られているが、彼の苦悩についてはあまり知られていない。
研究者および家族生活を営む人間としての彼の内面を知ることで、彼の理論をより理解しやすくなるかもしれない。ただし、長話をしているといつまで経ってもアンスコムに辿り着けないので、手短に話してみよう。
ハートは1907年生まれなので、バーリン(1909)、エア(1910)、J・L・オースティン(1911)より少しだけ年上である(1992年死去)。H・L・Aはハーバート・ライオネル・アドルファスの略で、たまにハーバート・ハートと表記されることもある。
法学者のD・シュガーマンによるインタビューが論文になっているが、それによると、ロンドンに住むユダヤ人家系に生まれたハートは、1926年にオックスフォード大学(ニューコレッジ)に入学し、古典学を学んで29年に卒業した。その後、法廷弁護士になるために大学に残って判例の勉強をして司法試験を受け、1932年に弁護士になった。(注1)
このインタビューでは言及がないが、ハートは学部を卒業してから法廷弁護士になる前に、超難関のオールソウルズのフェローシップ試験を2回受けている。
ニコラ・レイシーの伝記では、1929年に歴史学、1930年に法学のフェロー(編注:日本の大学では教員に当たるポスト)を目指して受験したが、二度とも落ちて大変つらい思いをしたという。とくに、当時から仲の良かったバーリンや、戦後に親交を深めることになるオースティンらは合格してフェローになっていたので、ますますつらい思いをしたそうだ。(注2)