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 彼女は不恰好な黒いズボンと、特徴のないぶかぶかのセーターを着ていたけれど、また、かなり長くてベタベタしていて特定の色合いを持たない髪を頭の後ろで「おだんご」のようにしてまとめていたけれど、彼女の顔は、片目の斜視が目につくものの、驚くほどの静謐さと美しさを備えていた。彼女は「キリストの降誕」の絵に出てくる天使のような感じだった。

 

 信者が聖母マリアの厚意を得たいと願うのと同じように、アンスコムに会った人はただちに、彼女の共感、彼女の祝福、彼女の愛情を得たいと思っただろう。そしてさらに印象的だったのは、彼女が話をするときの声の美しさだった。この事実が、後々、彼女のしばしば荒っぽい言葉遣いの破壊力をさらに増したのだった。(注9)

 そのような容姿と美しい声で、アンスコムはウォーノックの夫となるジェフリー・ウォーノックのことを、「あのクソ男のウォーノック(that shit, Warnock)」と呼んでいた。ジェフリー・ウォーノックはJ・L・オースティンに心酔していたため、当然ながらアンスコムには忌み嫌われていた。

 マリー・ウォーノックがB.Phil.に進学するくだりでアンスコムに非難された話をしたが、彼女が強く非難されたことがもう一つあり、それがジェフリー・ウォーノックとの結婚話だった。

 アンスコムは自分と同学年のジーン・クーツが卒業後にオースティンと結婚すると聞いたときも、あんなひどい男(someone so awful)と結婚するなんてと彼女を厳しく非難した(注10)。これから結婚する人に対して、アンスコムは祝福の言葉を述べるどころか呪いの言葉を吐き続けた。

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 なお、アンスコム自身は、オースティンが結婚したのと同時期に、自分と同じカトリック教徒で哲学者(論理学者)のピーター・ギーチと結婚している。

 ギーチとアンスコムは1938年にコーパスクリスティプロセッションというカトリックの祭礼で最初に出会ったが、そのときギーチはアンスコムを別の女性と勘違いして彼女にプロポーズしたという。しかしまもなく二人は恋愛関係となり、その年に婚約して3年後の1941年に結婚した。その後、二人はアンスコムが2001年に亡くなるまでの60年間夫婦であった(注11)。彼女は結婚後もミス・アンスコムと名乗っており、夫のギーチでさえそう呼んでいたそうだ(注12)。

 カトリック教徒の二人は7人の子どもに恵まれた。マリー・ウォーノックはアンスコムがセントジョン通りに住んでいた頃にその家でインフォーマルなチュートリアルを受けていたが、自分の哲学的才能が十分でないことが暴かれるのが嫌なだけでなく、家がとんでもなく臭いのでその家に行くことを恐れていたという。

セントジョン通り。ブライアン・マギーなども学生時代に住んでいた。

 その家には子どもが「少なくとも3人、ひょっとすると4人」おり、おもちゃが床のそこら中に散らばっていた。アンスコムの書斎には使用後のおむつも落ちていたという。

 あるときウォーノックは家に着くなり赤子を腕に抱かされて、あとちょっとで執筆が終わるからミルクをやっておいてとアンスコムに頼まれた。まだ赤子の扱いなど何も知らないウォーノックは、この汚くて臭い生き物を二度と見たくないと思ったそうだ(注13)。

◆◆◆

【注釈】

注1 所長のDavid Albert Jonesによる紹介。本文の伝記的部分は主にこの紹介文に拠っている。https://www.bioethics.org.uk/page/about_us/about_elizabeth_anscombe/ なお、アンスコム生命倫理センターは2010年にオックスフォードにできたが、その前身は1977年にロンドンに設立されたリナカー医療倫理センターである。カトリックの学術機関であり、オックスフォード大学には所属していない。

注2 Brown, Andrew, “Mary, Mary, Quite Contrary,” The Guardian, 13 January 2001, https://www.theguardian.com/books/2001/jan/13/philosophy 以下も参照。Midgley, Mary, The Owl of Minerva: A Memoir, Routledge, 2005, pp.123-124. なお、当時の女子学生の割合等については以下の文献に詳しい。Lipscomb, B. J. B., The women are up to something: How Elizabeth Anscombe, Philippa Foot, Mary Midgley, and Iris Murdoch revolutionized ethics, Oxford University Press, 2021.

注3 Hare, R. M., “A Philosophical Autobiography,” Utilitas, Vol.14, No.3, 2002. 本書のChapter 22も参照。

注4 Midgley, op. cit., p.113.

注5 Warnock, Mary, A Memoir, Gerald Duckworth & Co., 2000, p.53.

注6 Warnock, op. cit., p.65.

注7 Ibid.

注8 Warnock, op. cit., p.69.

注9 Warnock, Mary, A Memoir, Gerald Duckworth & Co., 2000, p.71.

注10 Warnock, op. cit., p.68. ちなみに、オースティンが結婚したのは1941年、ウォーノックらは1949年のことである。

注11 https://www.bioethics.org.uk/page/about_us/about_elizabeth_anscombe/(注1を参照)

注12 Haldane, John, “Elizabeth Anscombe, Life and Work,” John Haldane ed., The Life and Philosophy of Elizabeth Anscombe, St Andrews Studies in Philosophy and Public Affairs, 2019, sec.3. このあたりも奇行だなと思っていたが、よく考えると我が家もいまだにお互い旧姓で呼びあっているので人のことは言えない。

注13 Warnock, op. cit., p.59. とはいえ、ウォーノック夫妻も後に5人の子どもに恵まれることになる。

オックスフォード哲学者奇行

児玉 聡

明石書店

2022年11月10日 発売