《恩師である星野仙一氏は86年オフに中日監督に初就任して牛島和彦、翌年オフに大島康徳という投打の主軸をトレードで出した。阪神監督時代も02年オフに24人の退団者を出す血の入れ替え。いずれも就任2年目のリーグ優勝につなげた。くしくも87年ドラフト1位で入団したのが立浪監督で、変革を間近で見た。》
中日はこの10年でBクラス9度。今年の成績は最下位。立浪監督は就任1年目のオフに星野流で動いてきたという解説。
監督になってからの戸惑い
そういえば先月末にNHK・BSで『逃げるな 泥にまみれても~中日ドラゴンズ監督 立浪和義~』という番組を見た。
NHK名古屋が今シーズンの立浪監督に密着したドキュメントだった。就任会見で「私の使命はチームを強くすること。妥協はしない」と宣言した立浪監督。だがドキュメントで興味深かったのは監督になってからの戸惑いの様子だった。
立浪はPL学園に入学直後、すでに大スターだった先輩の清原・桑田が試合後にも猛練習しているのを見て学んだという。自身も高卒でプロに入っていきなり通用したのは猛練習があったからだと。それに比べると今の選手は「甘い」とはっきり言っていた。
カメラの前で、京田選手に2軍行きを通告
しかし時代は変わる。選手の気質に合わせていかねばならない。監督が日々戸惑う様子がカメラに収められていたのだ。そして5月に事件は起きる。覇気のないプレーをしたと思えた京田に、立浪監督が試合中に2軍行きを命じたのだ。
『立浪監督 怒 京田2軍』(東京中日スポーツ5月5日)
「取れるアウトを取れなかった。顔を見ていてもまったく精彩がない。そうであれば2軍でやり直してこいと伝えました。もう帰らせました」(立浪監督コメント)