優子さんは、学校で必要なものを母親から買ってもらったことが、ほとんどなかった。しかし、それを学校の先生には言えなかった。そのせいで、「忘れ物が多い」「だらしない」と𠮟られることもあった。だから、高校生になってアルバイトができるようになったことが、とてもうれしかった。家とは違って一生懸命にやれば褒められたし、自分の意思でほしいものを手に入れることができた。そしてなにより、たとえ失敗したとしても一方的に怒られ続けることなどなかった。
ところが、ある日、貯めていたアルバイト代を母親にとられてしまった。それでも彼女はめげなかった。今度は、母親に気づかれないようにアルバイトをし、こっそりとお金を貯めた。帰宅が遅い彼女に、母親はなんの関心も示さなかった。
──目標にしていたひとり暮らしをするためのお金が貯まり、高校の卒業と同時に家を出た。就職先はなるべく親から遠く離れたところにしようと決めていた。
「家政婦がいなくなった」
彼女が家を出て行く日に、母親はそう言った。
小さいころからの悲しい癖
会社には朝一番に出勤し、夜は最後に退勤した。土日は会社に黙って出勤し、仕事をするうえで必要な資料に目を通し、暗記したり、完成させなくてはならない資料を仕上げたりした。別に、誰かの指示でも頼まれたわけでもなかったが、そうしないと周りに追いついていけないと思ったから、自らそうしたのだという。
入社して4年目の、ある朝の通勤電車内で、彼女ははじめてパニック発作を起こした。水中に沈められているのではないのかというくらいの息苦しさ、窒息感に襲われた。額に汗がにじみ、手指が震えた。なんとか職場にたどり着いたが、今度は周りの社員たちからの目が急に怖くなった。トイレに駆け込み、嘔吐してしまった。
翌日以降、出勤することが怖くなった。続けて何日も休んだ。
上司からは休職を勧められた。彼女は必要な手続きに則って精神科を受診した。診断書をもらい、それを会社に郵送した。
休職している期間中に、症状がよくなっていくことはなかった。
このまま会社に在籍することが迷惑だと思った彼女は、退職することにした。
しばらくぶりの会社で、彼女は最後のあいさつをした。
「ろくに役に立たなかったと思います。いろいろとご迷惑をかけました。すみません……」
彼女が謝るのは、小さいころからの悲しい癖だった。