文春オンライン

2022/12/06

 当時、彼女は母親と弟と三人で公営住宅に住んでいた。日常的に母親からの暴力を受けており、いつもその顔色をうかがっていた。母親を見ていると「見てくんな」と言われて叩かれた。拳が目に直撃して腫れぼったい瞼になった。すると今度は、「目つきが悪い」と言われてビンタをされた。

児童相談所の職員が去った途端「お前のせいで!」

 子どもが幼稚園に通っている様子がない、深夜にひとりで歩いている、お酒を買いにきた子どもがいる……。そんな数件の通報が児童相談所に寄せられていた。それで、ある日、彼女の自宅に児童相談所の職員が訪問してきた。その光景を、割とはっきり覚えているという。

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「ごめんください」

 母親が玄関を開けると、柔和そうな女性が立っていた。その後ろに若い男性がいた。

 不機嫌そうに母親が、

「なんですか」と言うと、扉の外に立つ女性が答えた。とてもやさしそうな声をしていた。

「いろいろと子育てのことで大変だと思って。少しでも力になれることはないかしら?」

 母親は面倒くさそうにしていた。

「大丈夫です、間にあってるんで」

「お母さんひとりで小さな子どもをふたりも育てるのは大変でしょ?」と、その女性は言い、部屋のなかを覗き込みながら「お子さんの顔、見せてもらうことできる?」とたずねた。

「見せるから、帰ってください」

 母親に玄関までくるように言われて、彼女は顔をだした。

「あら、その目、どうしたの? 腫れているじゃない?」女性職員が言った。

「きょうだい喧嘩です」と、きっぱり言いきった母親だったが、三歳になったばかりの弟がつくれるような目の痣ではなかった。

 なにかを察したのだろう。女性職員が母親に向かって、とっさに言った。

「イライラしちゃうこととか、ない?」

「なんなんですか! 人の家庭に首を突っ込んできて! 迷惑なんですけど! もういいです!」

 母親は急に怒りだした。その勢いに気圧されて、

「じゃあ、また失礼させていただきますね」と言って、職員たちは帰っていった。

 玄関の扉が閉まった。

「お前のせいで!」

 彼女の頭に衝撃がくわわった。足元にはホチキスの本体が転がっていた。痛むところを触っていると、指先に硬いものが触れた。それを引き抜くとホチキスの芯だった。

 髪の毛を鷲摑みにされ、引きずられ、奥の和室へと連れて行かれた。ところどころ破れている襖、擦りきれた畳に残る赤黒くなった何日か前の血、そのうえに真新しい血が落ちた。それを、彼女はティッシュペーパーを持ってきて拭いた。汚れていると、また怒られるからだ。

 暴力を振るわれているあいだ、彼女は何度も母親に謝った。「ごめんなさい」と繰り返した。が、許してもらったことはなかった。母親の気がすむまで、じっと耐えるしかなかった。