世の新刊書評欄では取り上げられない、5年前・10年前の傑作、あるいはスルーされてしまった傑作から、徹夜必至の面白本を、熱くお勧めします。
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「おい、地獄さ行(え)ぐんだで!」
というインパクト抜群のセリフが一行目で宣言されて、蟹工船は出港する。ロシアの領海に近い寒く荒れた海で蟹を獲り、船上の工場で缶詰にする船――ご存じ小林多喜二の「蟹工船」である。
主人公はいない。彼らはただ「漁夫」「雑夫」「学生」などと呼ばれる。彼らが詰めこまれた居住空間は悪臭に満ち、作中で「糞壺」と記されている。そして酷使の果てに死ねば、海に捨てられるのだ。
一行目の宣言どおりの地獄絵図。もちろん本作には労働者の連帯と階級闘争という主題が埋めこまれてはいるが、そういうことは忘れてよろしい。凄絶な地獄の様相を息を詰めて見つめるだけで、“何か”は十全に伝わるはずである。
さて「蟹工船」の角川文庫版と新潮文庫版は、カップリングで「党生活者」を収録している。こちらはうって変わって東京が舞台、ドライな一人称で書かれた小説だ。
「私」は労働運動を煽動すべく軍需工場に潜入した“細胞”の一員。身元を隠し、息を殺して日々を送っている。住居を警察に暴かれれば女の家に潜伏し、擬装のために夫婦となり、しかし徐々に実生活は困窮の度合いを深めてゆく……
「私」には大義がある。実行すべき戦術もある。だが彼に指示を与えている上位の組織のことはさっぱりわからず、ハードボイルド風の即物的な文体のせいもあって全編に不条理なサスペンスが充満している。そう、この味わいはスパイ小説のそれだ。
多喜二は本作執筆の翌年、警察に捕らえられて拷問の末、殺害された。同じような死は「私」にも待ち受けているのかもしれない。それが本作に漂う窒息的な不安を増幅する。(紺)