『ジョゼと虎と魚たち』が自分のオールタイムベストムービーだ、と長澤まさみが最近のインタビューで渡辺あやの脚本家デビュー作品を挙げているのは、その遠回しな答えではあるのだろう。
ずっと彼女の才能を知っていた、いつか彼女の作品に出演したいと思っていた、という意味がそこには込められているのではないか(ちなみに文化庁芸術祭大賞を受賞した渡辺あや脚本ドラマ『今ここにある危機とぼくの好感度について』に出演した鈴木杏と長澤まさみは高校以来の旧友である)。
インタビューで語っていたこと
同時に、『エルピス』関連のインタビューを読みながら、長澤まさみが作品に対して視聴者に先入観や予断を与えないよう、一定以上に踏み込んだ発言を避けているように思える面もある。
人気俳優が作品の社会的テーマに対して踏み込んだ発言を避けるのは、日本の芸能界において通常のことではある。だが事なかれ主義的に避けたいのであれば、数あるオファーの中で『エルピス』を、その社会的テーマと、それが起こすであろう軋轢を知りながら、2年間もドラマの実現を待ち続けた末に出演するはずがない。
当初はTBSで企画されていた『エルピス』の原案は「リスクが大きい」「ハレーションを起こす」と忌避され、見送られる。名作『カルテット』を手がけた佐野亜裕美プロデューサーはTBSを退社し、体調を崩す。その間、長澤まさみは次々と国民的メガヒット映画への出演を重ねながら、テレビ局が二の足を踏み、プロデューサーが職を失い体調を崩したドラマがいつか制作され、自分が出演する日を待っていたことになる。
そうした『エルピス』という作品の起こすハレーション、影響力の大きさを知るからこそ、インタビューにおいて長澤まさみは安易に作品の内容を分かりやすい言葉で語ることを避けているように見える。
「世の中にある正義って、具体的に何を指しているのか戸惑うことがあります。自分の正義を貫くことも容易ではないし、人それぞれひたむきに今と戦っているんだなって思います」
制作発表時の長澤まさみのコメントは、必ずしも社会正義を高らかに掲げる雰囲気ではなく、むしろ思慮深くそれを扱おうとしている雰囲気がある。
メディアで語られる言葉は今ネットにおいて、強烈な二つの磁石の間に置かれた砂鉄のように、左右どちらかの磁場に引き付けられ、吸着してしまう。脚本家の渡辺あやがインタビューで語ったいくつかの政治批判、固有名詞を挙げた発言はたちまちその2つの磁場の中にとらえられ、「政権批判だからくだらない、見ない」という反応と「勇気ある政権批判だから素晴らしい」という反応の両極に分かれていった。
中立などありえない、左か右か立場を鮮明にすればいい、という声もある。だが実際に渡辺あやが脚本を書いた『エルピス』という物語の中では、人間の中の善と悪が複雑に混ざりあって描かれている。
長澤まさみが演じる主人公は必ずしも、社会正義に目覚めた正義の女性であるだけではない。物語の始まりである死刑囚の冤罪疑惑というモチーフには、正義だと思っていたものが正義ではなかった、というテーマを内包している。被害者遺族の怒りや反発の中に揺れながら事実を探る主人公の表情には、良心とともに戸惑いや迷いの影が常に立ち込める。