発想の逆転で現在の仕組みを改善
そして裁判記録は、「真相は違う」「事件は仕組まれたものだ」などという陰謀論やデマが跳梁跋扈するのを抑制する重しにもなる。神戸連続児童殺傷事件の場合も、早くから犯人別人説が出回った。著名な法律家などが加わっていたこともあり、今もAの冤罪を信じている人はいる。今回、記録が廃棄されていたとの報道が流れると、この異説が息を吹き返し、「真相はこれだ」とばかりにネットで広めている人たちもいる。その状況を見るにつけ、失われた裁判記録の「重し」としての意味を感じた。
有識者委員会では、記録をできるだけ保存するための仕組みとスペースの問題を、しっかり議論してもらいたい。
まずは、記録は一定の保存期間が過ぎれば廃棄してよいもの、という考えを改め、基本的には長く残すもの、と発想を逆転させることが必要だ。そして、特別保存する場合に裁判所長などの判断を必要とする現在の仕組みを、廃棄する時に裁判所長などのチェックをする仕組みへと変える。
デジタル技術の活用を検討し、保存スペースの確保
また、重要な記録がチェックをすり抜けて廃棄されることがないよう、記録を保管してあるファイルの表紙や書類箱の外側には、事件番号だけではなく、いわゆる事件名も書いておくことも忘れないでほしい。
そのうえで、裁判所で一定期間保存した後は、国立公文書館に移管する。2028年には新たな公文書館が開館予定なので、そこで司法文書のスペースを十分とる。もちろん、そこでのスペースも無限ではないので、地方に倉庫を用意したり、デジタル技術も活用することも考えなければならない。
これは少年事件の記録だけでなく、あらゆる裁判記録について言えることだ。行政機関が作成する行政文書だけでなく、裁判の記録、すなわち司法文書も公文書だ。公文書管理法は、その第1条で公文書を「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」と位置づけ、国民主権の理念に則ってその適切な管理、保存、利用を謳い、国などには「現在及び将来の国民に説明する責務」も負わせている。