裁判の公開と公文書開示に閉鎖的な日本
確かに、裁判記録は関係者のプライバシーに関する情報が多く含まれている。扱いに十分な配慮が必要だが、一方で裁判の公開は憲法でも定められている。裁判記録の開示は、裁判公開原則を補うものであることは、国も認めている。それを考えれば、検察が独自の判断で閲覧不許可や墨塗箇所を決めたりするのではなく、プライバシー部分を含む歴史的文書の保存と管理のプロである、国立公文書館のアーキビストたちにできるだけ早く委ねるのが望ましいのではないか。
裁判の公開と公文書開示が徹底しているアメリカでは、記録などもできる限りオープンな仕組みになっている。刑事手続きに関しては、インターネットを利用し、クレジットカードの登録をすれば誰でも記録が入手できる「ペイサー」という仕組みがある。
記憶に新しいのは、カルロス・ゴーン元日産会長の国外逃亡を助けた米軍特殊部隊の元隊員とその息子がアメリカ国内で身柄拘束され、いつ日本に移送されるかに関心が集まっていた時期、記者たちは東京地検特捜部が米司法省に送った捜査関係資料をペイサーを利用して入手した。NHKは、この仕組みを使って容疑者親子の日本国内での動向の一部始終が記録された大量の防犯カメラ画像や、ゴーン元会長の銀行口座の取引記録などを入手した経緯を報じた。容疑者自身が以前に受けた裁判の記録を入手して、その人間像を報じた新聞社もあった。
一挙にアメリカ並みにするのは無理でも、あまりにも閉鎖的で、検察の恣意的な判断が働いている日本の現状は、やはり変えなくてはならないと思う。
『憲法判例百選』に載っている事件の記録を問い合わせると…
最近、裁判記録を残す意味を考えさせられる出来事があった。
都内の私大法学部2年の学生(ツイッターアカウント名「学生傍聴人」、ここではAさんとしておく)が、オウム真理教に対する解散命令事件の記録を閲覧したいと考え、事件を担当した東京地裁民事8部に問い合わせた。大学の憲法の授業で、この解散命令について学んだことがきっかけだった。
「まだ教祖の裁判が始まっていない段階で、どのような経緯で判断がなされたのか知りたいと思いました」(Aさん)
ところが数日して、同地裁から「廃棄済み」との回答を受けて仰天した。
「『憲法判例百選』にも載っている事件なのに、まさか捨てられているとは……。ショックでした」
Aさんは、地下鉄サリン事件より後に生まれた世代だ。だが、小学生の時にオウム事件に関するドキュメンタリー番組をテレビで見て以来、この事件に関心を持ち続けている。高校生になると死刑囚が書いた本なども読むようになり、裁判傍聴も始めた。最近はオウム事件関連の行政文書を情報公開請求したり、オウムの刑事裁判記録の閲覧を請求したりして、自身の研究を進めていた。