記録は利活用できなければ意味がない
オウム事件では、192人の信者が起訴された。教祖やサリンの製造に関わった幹部、地下鉄サリン事件や坂本弁護士一家殺害事件の実行犯など13人の死刑が執行され、無期懲役刑が確定した5人が今なお服役中だ。そうした重罰を科された者以外に、様々な薬物密造や拉致・監禁などの犯罪に、多くの信者が関わっていた。そうした末端に近い信者の行為も含めて、オウム事件なのである。その全貌を示す公式の記録を歴史史料として後世に残し、事件を直接見聞きしていない人たちが検証できるようにしておくことは、事件当時を知る者の責任だと思った。
教団の後継団体アレフは、教団の組織的犯罪を認めず、信者には「オウム事件はすべて濡れ衣」「サリン事件もデッチ上げ」などとふき込んでいる、と聞く。また、ネット上にも、その種の陰謀論が存在する。今後数十年経てば、私を含め、実際に裁判を見て、犯罪に関わった信者たちの証言を直接聞いてきた者はこの世からいなくなる。そうなった時にも、裁判記録が残り、事件に関心ある人がアクセスできるようになっていれば、歴史は陰謀論に曲げられることなく、正しく伝わるだろう。
それを考えれば、記録は単に保存しておくだけでなく、利活用できなければ意味がない。そのためには、まずどのような事件が刑事参考記録として永久保存されているのか知る必要がある。しかし、私が情報公開請求で刑事参考記録のリストを求めても、開示されたのはほとんどの項目が黒塗りの“ノリ弁”文書だった。
刑事裁判記録の移管が進まない理由
この問題でも動いたのは上川法相だった。2008年8月にはオウム事件全記録を永久保存することを決めて、記者発表した。刑事参考記録のリストについても、公開するよう指示を出した。その後、罪名、確定年、刑名、刑期に加え、いわゆる事件名を含めて法務省のホームページで公開されるようになった。
とはいえ、記録の利活用は、まだまだだ。
アメリカの公文書館で発掘した司法文書などを踏まえて書き下ろした『秘密解除 ロッキード事件』(岩波書店)で司馬遼太郎賞を受賞した朝日新聞記者の奥山俊宏さん(現・上智大教授)が、同事件の刑事参考記録の閲覧を申し込んだが許可されなかった。
私が、今なお保管期間中のオウム事件死刑囚の記録の一部の閲覧を申し込んだ際にも、「確定から3年以上が経過している」ことを理由に断られた。その後、時期を置いて再度閲覧請求をしたところ、認められたが、かなり待たされたうえ、黒塗りされた部分がある。黒塗り作業をする間、待たされていたのだろう。
こうした刑事記録も、法律が定める保管期間を過ぎたら、国立公文書館に移管すべきだ。民事の判決原本と異なり、刑事裁判記録の移管は遅れている。軍法会議の記録は谷垣禎一法相時代に国立公文書館に移管され、閲覧も始まっているが、一般の刑事事件については、上川法相の時に決まった明治期前半(治罪法時代)の刑事参考記録の移管が試行がされている最中。国立公文書館で見ることができるのは、明治20年に群馬県で妻を毒殺した男の事件1件だけで、なかなか次のステップに進まない。