「寝てて死んだのをほかのクマが食ったものかな」――死んだクマは、その後、どんな形で残るのか?
伝説の狩人であり、朝日連峰(山形県)のブナ林を守る環境保全活動にも尽力した志田忠儀さん(2016年逝去)の貴重な言葉の数々を記録した『朝日連峰の狩人』(構成:西澤信雄氏)より一部抜粋してお届け。1991年の出版当時、65歳だった志田さんが語った印象的な光景とは(全2回の1回目/後編を読む)
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ナラの穴にツエ入れたら、クマの手が出てきたのよ
神代の昔から猟はやってた。鉄砲なければヤリでやっていた。ヤリでやった時代はヤリやトビ口たがって、クマの頭さトビでしめたんだと言うけどね。だいたいがクマが入る穴を覚えて、穴を探したんじゃないかと思うけどね。おれも穴から3回ぐらい捕った。
1回は、完全に穴から捕った。出谷さ行くと5人ぐらいでひと倉巻けるのだ。小さな倉でね。西俣、中俣、ウツボ、平七ってね。人多くてもったいないから1人偵察してくれて、間に合うだけの要員連れていったら1人帰ってきて、「クマいないけどいい穴あって、あいつなら3年以内なら必ず入るべなあ」って言うの。
いい穴ってのは、ナラの木が3本だか立ってて、そこに穴あって、3人寝れるぐらい根がはってて中が空なんだっけ。そいつさ前の年行くべ、行くべって言っていたの。おれ都合悪い、誰都合悪いってとうとう行かないでいたの。それ見に行ったら、クマが穴口さ出てて寝ていたの。穴にいる勘定だから、あそこだとか何とかだとか語りながら行ったので、その声で逃がしたのよ。だから来年の場合だったら2人でも3人でも行ける人いたら行って、そのかわり今日いた人さ皆さ等分に分けることだって約束したんだった。そのしめた時は3人しか行かないんだね。
昼まで何にもなくって、お昼食べたら、そのちょっとわきのマツの木さガッポリかぶりついた跡があって、クマの毛なんつけてて。あまりとかくない(遠くない)とこの穴の中にいるって言うんだね。昼まで5つ6つナラの穴見てきていないから、今日はだめだ、って言っても、連中、かじってたからこの次のいたかしんねい(いたかもしれない)、って行ったら氷で10センチぐらいの穴になっていた。
いちおうクマしめだからおれともう1人鉄砲構えて、1人穴口さ行って、「なんだけっけな(こんなけちな)穴、マミ(アナグマ)入ったなこりゃ。糞がこんな小さな木の上にあるんだけな」「クマの毛ついてたなんて、クマ出入りするとこマミなんか冬眠しないから気をつけろよ」って言うと、1人はマミ用にバラ弾詰めたんだね。そして今度、クマ狩りでは必ず持っていくツエを入れて、腕も入れてかまして(回して)いたら、クマの手が出てきたのよ。この入り口まで。
「クマだあ」って、ちょっと人なんか跳ね上がられねい高さだけその人上がってよ。でもクマとても外までは出はられないのよ。入り口が小さいし、凍っていて。クマの体温で上の雪が解けて凍ったんだな。