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「長男という呪縛」からの解放

――「長男だから」という言葉が頻出しますが、反抗期はありましたか?

ピストジャム 中学校卒業時に父が広島に転勤になって、家族は広島へ。僕だけ、地元の祖母の家から高校に通いました。親と一緒にいないので、特に反抗期もないんです。

 弟たちは、広島で公立の中高に行って、好きなことをしていましたよ。僕は何かと“長男の示し”を求められましたが、実際は防波堤になっていただけ。社会人になるタイミングで、やっと呪縛から解き放たれたっていうので、今、長い反抗期なのかもしれません(笑)。

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©佐藤亘/文藝春秋

――慶應では、どんな学生生活でしたか。

ピストジャム 音楽、映画、本、絵……趣味に没頭した4年間でした。授業は必要最低限のものに出るだけ。家賃5万5000円の「日吉台学生ハイツ」(慶應学生御用達だった、男子学生向けの寮。2016年3月閉館)に住んでいたんですけど、僕の部屋はまるで牢屋。

 四畳半で、陽の光が一切入ってこない。ベッドが一つと、簡易的な本棚、手を洗う蛇口が1個あるだけで、風呂・トイレは共同です。部屋に来た人たちは、皆「この部屋にいたら気が狂う」と言うほどでした。

 大学時代、僕はかなり気持ち悪がられていたと思いますね。20年前は携帯電話全盛期なんですけど、僕は携帯もPCも持っていない。だから、キャンパス内の木の下にいつも座っていました。そこに行けば僕と連絡がとれる、というシステムです。

元相方・こがけんとの出会い

――こがけんさんと、同級生なんですよね。

ピストジャム こがけんは、大学1年生で最初にできた友達です。ユーロロック研究会というサークルで知り合いました。彼は広い部屋に一人暮らしで、オメガの時計やiMacを持っていたりして、とにかく眩しい存在。僕はサークルを早々に辞めましたが、彼は代表にまでなって、学内でも人気者でしたね。

――そして4年生の時、こがけんさんを誘ってNSC(吉本興業の養成所)へ。