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「優生思想」という陥穽

 ここでちょっと寄り道をしますが、自傷的自己愛に陥っている人に典型的な発想として、「仕事での成功」などによって自分の価値を高め、自分を肯定できるようになりたい、というものがあります。これは、きわめて危険な罠です。その理由は以下の三つです。

(1) 高すぎる目標設定が行動を阻む

(2) 実際に達成できても自己肯定感が意外に高まらない

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(3) この発想自体が優生思想的で、セルフスティグマにつながる

 こうした発想の何が問題となるか、順番に説明していきましょう。

 まず(1)ですが、これはわかりやすいでしょう。その目標が「今から勉強し直して東大に入りたい」とか「漫画家になってベストセラーを出して金持ちになりたい」といったものである場合、本人自身がその困難さをよくわかっていて「どうせ無理」という思いが先立つため、行動に移せません。また自信がないので行動が続きません。動けないこと、行動できないことそのものが「やっぱり自分はダメだ」という思いにつながり、悪循環にはまり込んでしまいます。

(2)については、先述した、表面的には成功しているが自傷的自己愛を克服できない人の例からもあきらかなように、成功が自信の糧にならない場合が意外に多いのです。大変な努力をした割には、思ったほど自信がつかなかったという話はよく聴きます。もちろん例外もあるでしょうが。

(3)「自分は何ものでもない、何もしてこなかった自分には価値がない。だから死んだ方が良い」ということを言う方は多いのですが、「価値がない人間は死ぬべき」というのは、典型的な優生思想です。自分のことだからいくら罵倒しても良いと考えているなら、それは間違いです。自分自身に無価値の烙印を押すことはセルフスティグマであり、自己愛を萎縮させかねない行為なのでやめるべきです。

 以下、優生思想について少し説明しておきます。

起源はアメリカの断種法

 2016年におきた「相模原障害者施設殺傷事件」の犯人である植松聖死刑囚に対して、事件直後、ネット上では驚くほど多くの共感の声が寄せられていました。植松は、意思疎通ができない「心失者」は生きる価値がない、と主張しており、この考えに同調する人々が少なくなかったのです。確認は難しいのですが、植松への賛同者の中には、ごく普通の社会人が多数いたのではないかと私は考えています。彼の「生きる価値がない人間が存在する」という考え方そのものが「優生思想」に含まれます。