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「OECD諸国と比べて、日本は子ども関連の予算が半分」暴言→引退表明の明石市長がふりかえる“12年間の市政改革”

「OECD諸国と比べて、日本は子ども関連の予算が半分」暴言→引退表明の明石市長がふりかえる“12年間の市政改革”

泉房穂氏インタビュー #2

2022/12/29

source : ノンフィクション出版

genre : ライフ, 社会, 企業, 働き方

note

ロールモデルは故・石井紘基氏

 子どもの頃から明石市長になるのが夢でした。前言ったように私の弟は障害者で、家は貧乏で、社会的に悔しい思いをしました。こんな冷たい社会を自分の手でやさしくする、それを一生をかけてやりたいと思い続けてきました。ソーシャルアクションという言葉があります。目の前の困っている人を助けたい時、寄り添って肩を叩くだけでなく、政治や行政、制度が間違っていたらそれを変えないと救えない。その働きかけの方法として、マスコミに勤めたり、弁護士をしたり、衆議院議員になったりしたんです。そして、ゆくゆくは大好きなふるさとで仕事をしたかった。

 それは、私の政治家としての目標である故・石井紘基さんに言われたことでもあります。石井さんは、カルト宗教問題や利権の問題に取り組み、命をかけて戦った方です。私は20代の時、たまたま彼の著書を読んで感動して、手紙を書いたんです。すると「ぜひ会いたい」と返事があり、会いに行ったら、いきなり「選挙を手伝ってほしい」と言われました。

40歳で総選挙に立候補し、当選

 勤めていたテレビ朝日を辞めて、1年間、2人で選挙活動をやりました。その時は落選したのですが、石井さんから「君をこれ以上引っ張れないから、司法試験を受けなさい」と言われて、弁護士になりました。「政治家には40代でなりなさい。ちゃんと仕事をして、社会に出て、周りに推されてなりなさい」と。「泉君はきっと40の時には政治家になってるから」とも言われました。

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 まさに私が39歳だった2002年10月25日に、石井さんは自宅の前で暴漢に刺されて亡くなりました。それで彼の遺志を継ぐかたちで、私は翌年の総選挙に立候補して当選しました。石井さんに恥じないような生き方をしたいし、政治家でありたいと思ってきました。