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幼少期の自給自足生活

――自給自足というのは、具体的にはどのような生活なんですか?

いしだ 朝4時に起きて、まずは山道を30分ほど歩いて川に水を汲みに行くんです。3往復して水を溜めたら、薪を割って火を起こし、お湯を沸かします。そのあたりでいったん母を起こしに行って、それからまたヤギの乳搾りをしたり、鶏小屋に卵を取りにいったりして、ご飯の材料を揃えるのが朝の日課でした。

 朝食を済ませたら、今度は畑仕事です。僕の役割は、肥料にする家庭から出た糞尿を、バケツで畑に運ぶことでした。こんなことをやっていると、あっという間に1日が終わってしまうんですよ。

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――遊びたい盛りの時期なのに、不満はありませんでしたか。

いしだ たいてい午後3時くらいになると、大人たちが「遊んできな」と言ってくれるので、そこまででもなかったですね。コミューンに同い年の従兄弟がいたので、2人で山を駆け回りながら食べられる木の実を探したり、海まで走って行って釣りをしたり、それなりに楽しんでいましたよ。

 中学生になってからは、オーストラリアに留学させてもらうことになったので、そうしたコミューンでの暮らしとは縁遠くなりましたけど。

 

――実の父である石田純一さんと、初めて対面したのはいつでしょうか。

いしだ 16歳の時でした。留学先のオーストラリアから戻って来て、半年くらいアルバイトをしてお金を貯めて、今度はニューヨークかロンドンに行こうと思っていたんです。するとそのタイミングで、父の姉にあたるジャズシンガーの石田桃子のコンサートに母と2人で行くことになって。そこに純一さんも来ていて、ついに再会です。

――やはりそれは“再会”なんですね。

いしだ うん、そうでしたね。お互いに顔を見るなり「わあー」と声をあげました。もちろん一緒に暮らしていた記憶はないし、僕からすればお父さんというより芸能人なんですけど、そこはやっぱり親子なので、ちょっと不思議な感覚ではありました。