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演技経験ゼロからのドラマ出演

 それから父との交流が始まるのですが、まったく話題がないんですよ(笑)。一緒に車に乗っていても、最初はいつもシーンとしていました。でもある時、父が「将来はどうするんだ」と聞いてきたので、「ミュージシャンになりたい」と答えたら、「芝居には興味ないのか?」と言われて。その流れで父に「ドラマに出てみないか」と誘われたことが、芸能界入りのきっかけになりました。

――しかし、その時点では、まだ演技経験はゼロの状態ですよね。

いしだ ゼロですね。でも、父も俳優として全盛期でしたから、強力なコネクションをたくさん持っていたんです。次の日にフジテレビに連れて行かれて、いろんなプロデューサーさんと会うことになるのですが、そこで「芝居の経験はなくても、リアリティがあるよな」と言われ、いきなりドラマ出演が決まったんです。『悲しいほどお天気』(1992年)という作品でした。

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――リアリティとはどういう意味だったのでしょうか。

いしだ それが僕にもわからないんですよ。今にして思えば、そういうのも含めてバブル景気の頃のノリだったのかもしれません。もちろん演技はまるでできていなくて、デビュー作はいまだに絶対見返したくない作品の1つです。

 

――それでも俳優として生きていく決意をされたのはどうしてでしょうか。

いしだ 本当は、もう二度と芝居なんてやりたくないと思っていたんです。そこで父に「申し訳ないけど、やっぱり……」と言おうとしたら、「次のドラマ、決まったよ」と言われてしまって。僕としてはまったくやる気はなかったのですが、観月ありささんの相手役だというので、二つ返事で引き受けてしまいました(笑)。

 結局、演技修行らしいことはしていなくて、たまに父にアドバイスをもらいながら現場で叩き上げられていった感じです。

――これまで、とくに印象深い作品は何ですか。

いしだ ひとつの転機になったという意味では、TBS系のドラマ『未成年』(1995年、TBS系)ですね。その前の『ひとつ屋根の下』(1993年、フジテレビ系)の頃はまだまだ手探りで、スタッフの方から毎日怒られながら、本当にいろんなことを叩き込まれました。リテイクの際も、「お前のせいでもう一回撮らなきゃ」などと言われながら、毎日歯を食いしばって頑張っていました。

 そうした中で俳優としての自分を徐々に育んでいって、それがある程度確立できた手応えが得られたのが、『未成年』で演じた戸川博人役でした。野島伸司さんの脚本の妙もあるのでしょうけど、この作品では自然な自分をそのまま投影するように演技ができて、すごく満足している仕事です。