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 新百合ヶ丘駅一帯では、46万4000㎡が開発され、そのうちおよそ7割が住宅地。公園緑地や農地も10%ほど確保されていた。計画人口は、5500人だったという。区画整理事業が完了したのは、1984年。その2年前の1982年には、多摩区から分離独立する形で麻生区が設置され、新百合ヶ丘駅前に区役所が置かれている。

 農住都市構想に基づく開発にあわせ、とうぜん新百合ヶ丘駅前の商業施設誘致なども計画されていた。核となるのはもちろん小田急……と思いきや、西武百貨店をはじめとする西武系列の商業施設が予定されていたという。商業施設の完成までは、小田急が遊休地を活かして新百合ヶ丘駅北口に園芸センターを開いていたこともあった。

「新百合ヶ丘」は“80年代のニュータウン”

 しかし、この西武の進出はバブル崩壊で頓挫してしまう。結局、小田急系の商業施設やイオンなどが進出し、90年代終わり頃から2000年代にかけて、いまの新百合ヶ丘駅周辺の姿ができあがっていった。昭和音楽大学が厚木から移転してきたのは2007年だ。

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 こうして歴史を辿ってみると、新百合ヶ丘駅がいまのごとく賑やかになったのは、それほど古いことではないのだ。60年代に築かれた団地の多くが高齢化に悩む中で、新百合ヶ丘はちょっと新しく80年代のニュータウン。商業施設が進出したのも比較的最近のことだから、古くささがまったく感じられないニュータウンになっている。

 小田急さんも、どうやら新百合ヶ丘を新たな拠点のひとつとして力を入れてPRしていたようだ。商業施設が揃ってきた00年代後半には、「ひとつうえの“しんゆりライフ”」などといったキャッチコピーでアピールし、おしゃれな店も集まる「小田急線のへそ」として新百合ヶ丘を取り上げる雑誌もあったとか。

 かくして、小田急線における新たなターミナルとして新百合ヶ丘駅はぐんぐん存在感を増してきた。先輩の百合ヶ丘駅は、わずかながらお客の数を減らしつつあるのに対し、新百合ヶ丘駅は右肩上がり。ここ数年はコロナのせいで1日の乗降人員は10万人を下回っているが、コロナ禍直前の2018年度は12万8000人を超えている(ちなみに同じ年の百合ヶ丘駅は2万1650人)。

 

 2000年からはロマンスカーも停まるようになっていて、住民の数も働く人も、そして買い物に来る人も増えてきた。横浜市営地下鉄ブルーラインの新百合ヶ丘駅延伸は、そうした発展の過程のひとつとして捉えれば、ごくごく自然な流れといえるのかもしれない。地下鉄が延伸すれば、新百合ヶ丘から新幹線に乗り継げる新横浜まで30分を下回る予定だという。もちろん横浜駅へのアクセスも格段に向上する。これからますます、“しんゆり”は成長してゆくのかもしれない。

写真=鼠入昌史

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