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「こんなのウソやって言ってよ」と言う母に……

 パリの事件のとき、僕はPRの仕事をしていて、メディアへの対応の仕方を多少なりとも勉強していたので、今後するべきことについて父親に説明した。父親は「分かった」と返事をしたが、それよりも心配なのは母親のことだ。おかあちゃん(僕も兄貴もそう呼んでいた)は僕に「ウソやって言って、ねぇ」と繰り返すだけだった。おとうちゃんは、会社の秘書に電話で事情を話し、すぐに家に来るように指示した。僕には「お前はおかあちゃんのことを見といてくれ」と言った。

 その間にも次々にマスコミから電話が入り、僕は父親に「とにかく、マスコミへは個々の対応をせずに、すべてリビングに迎え入れるように」と言った。そのうちマスコミが次から次へとやってきた。父親はマスコミの人たちをリビングに招き入れ、まるで自社の社員に対するように話し始めた。

佐川一政氏 ©東京キララ社

「一政は生まれたときは私の手に乗るくらいの未熟児でして…」と話し始めたものだから、僕はそれを見兼ねて少しイライラし「あまり余計なことは言わなくていいから」と父親に耳打ちした。裏ではおかあちゃんが「こんなのウソやって言ってよ」と相変わらず訴えてくるので往生し、「そうだね。ウソかもね」と相槌を打った。もちろん内心「いやあ、本当だよ、これは」と思っていたのだが。

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 秘書はその間に航空券を手配していた。父親のパリ行きと、母親と僕の福岡行きのチケットだった。母親をマスコミから遠ざけるために九州へ避難させることにしたのだった。父親は「とにかく、おかあちゃんの手を離さないように」とだけ僕に告げた。

「純さん、肩に力が入ってますよ」

 慌ただしく長い一日が終わり、朝を迎えた。前の晩、「目が覚めたら全部ウソだったということにならないかなあ」と思いつつ眠りに就いたが、目が覚めてみれば残念ながらすべては現実だった。飛行機はそんな現実をよそに、快晴の中、富士山の真上を通過した。おかあちゃんは「きれいやねえ、富士山」と言って僕の手をキツく握り締めた。もちろん母親はあの事件はウソだったとまだ信じていたのだった。

 福岡に着くと母親の知り合いの方たちが、ホテルは一ヶ所だとすぐにマスコミが嗅ぎつけるので2、3ヶ所用意してくれるなど、手回しをしてくれていた。街を歩いていると、兄と僕の共通の友達から「純さん、肩に力が入ってますよ」と告げられた。自分でも知らないうちに力が入っていたのかもしれない。すれ違う人みんなが僕たちのことを知っているんじゃないかと思えてきたのだ。被害妄想である。