パリの大学院に留学中に「パリ人肉事件」を引き起こし、その後に作家として活動していた佐川一政氏が、11月24日に死去した(享年73)。

 1981年6月、自宅へ招いたオランダ人の女子留学生ルネさん(当時25歳)を背後からカービン銃で撃って殺害。屍姦ののち、遺体の一部を生のまま、あるいは焼いて食べたこの事件は、当時、日仏両社会に大きな衝撃を与えた。

 パリ在住のジャーナリスト・広岡裕児氏は、事件当時、パリのサンテ刑務所で服役中の佐川氏から40通を超える手紙をもらうなど、最前線で取材を重ねている。彼がその目で見た「佐川一政という男」とは――。

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1984年、帰国した佐川一政 ©AFLO

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「1981年に、『カニバル・ジャポネ(人食い日本人)』と呼ばれたイッセイ・サガワが肺炎で死亡しました。73歳でした。彼はメディアのスターになり、自分の犯罪についてのベストセラーをいくつも出しました」

 日本で第一報が報じられた翌日12月2日、フランスのテレビや新聞雑誌でも、佐川一政の死は報じられた。猟奇事件であった上に心神喪失として不起訴になり日本に送還され、精神病院を退院後「メディアのスター」になったことも一因だろう。そんな佐川に私が初めて会ったのは、1981年の12月初め、事件の半年後である。

その日、パリの刑務所には“囚人番号50番の佐川一政”がいた

「サンカント(フランス語で“50”)サガワ」

 看守の声がひびく。ポスターぐらいの大きさの強化プラスチックの二重窓の奥の扉が開いて、当時32歳だった佐川が入ってきた。白いフード付きトレーナーの下に青いセーターがのぞいている。

 フランスでは拘置所と刑務所は分かれていない。佐川が収監されているのは学生街カルチェラタンの南端にあるサンテ刑務所だ。50は、ここでの囚人番号である。

 事件後いろいろな憶測があったが、「真実」が知りたかった。彼とは縁もゆかりもないが、たまたま同時在籍していたパリの大学が同じパリ第3大学だった(彼は比較文学専攻の大学院博士課程に在籍していた)ので予審判事に面会申請したところ、寒い廊下でずいぶん待たされて許可が出た。