世界中に衝撃を与えた「パリ人肉事件」で知られる佐川一政氏が、11月24日に肺炎のため死去していたことが、12月1日に公表された。
当時、32歳だった佐川氏がフランス・パリで友人のオランダ人女性を銃殺。その遺体の肉を生のまま、あるいは調理して食べていたことから、国内外でセンセーショナルに報道された。
晩年の佐川氏を介護していた弟・純氏は2019年、著書『カニバの弟』(東京キララ社)で幼少期から事件後に至るまでの兄とのエピソードを明かしている。兄になぜ、このような異常な欲望が芽生えたのか――。純氏は自分の身をも振り返り、「兄弟ふたりの性癖は家庭環境の影響が大きいと思うようになった」と語るのだ。
「佐川家では性的なことに関しての自由度が極端に少なかったように感じる。そんな環境から芽生えた兄の“食べたい願望”、そして僕の“二の腕拘束願望”からのSMへの傾倒。(中略)このあたりで僕は65年間守り通した秘密を打ち明け、スッキリさせたいと思うようになった」
純氏が本書で告白した、彼自身が幼少期から持つという“ある性癖”とは。
※転載にあたって一部編集していますが、ショッキングな描写が出てきますのでご注意ください。完全版は『カニバの弟』をご覧ください。
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その夜、わずか3つになろうとしていた僕は、上腕部の付け根あたりに違和感を覚えて飛び起きた。深く食い込んだ、たった一本の輪ゴムに妙に心地の良い痛さを感じ、僕の二の腕に深い跡が刻まれた。
これが僕の性癖の原点となった。“3歳”という年齢は、後々考えてみて測ったに過ぎないが、それほど誤差はないと思う。記憶というものは意外とあやふやではないのだ。
物を見る視点は「二の腕に使えるか使えないか」
それからというもの、二の腕あたりの感覚が妙に研ぎ澄まされてくることになる。違和感だったはずが、そこに何かをはめてないことが不自然に感じるようになってきた。小学校に上がると輪ゴムだけじゃ物足りなくなり、机の中に丸っこい物をいろいろと忍ばせていた。二の腕にはまりそうなものを見つけると、手首から入れて肘を通し、やがて上腕のつけ根に辿り着くまでの一連の動作が、お決まりの儀式になっていた。
そして常日頃、二の腕に使えるか使えないかという視点で物を見るようになっていく。上下貫通させた桃の缶、水道工事現場に落ちていたダクトパイプの切れ端、母親がやっていた茶道の道具で御釜を持ち上げる輪っか、ニューヨークに行った際に見つけてきた女性用のブレスレット、鎌倉時代の庭にあったブランコを吊り下げていた金具など、視点を変えればいくらでもあるものものだ。
二の腕の、特に内側は僕にとっての第三の性感帯でもある。そこにただ触れるだけで下半身が疼く。さらに“拘束”という刺激がさらなる性的快感を呼び起こすという一連の所業は、もう少し年齢が伴ってからのことになる。