安倍政権下で内閣官房長官や厚生労働相を歴任し、2021年10月をもって政界を引退した塩崎恭久氏(72)。金融政策に明るく、社会保障にも通暁した名うての政策通の引退を惜しむ声は今も多い。

 大物政治家の引退となれば、キングメーカー然として振る舞ったり、族議員時代の影響力を生かし陰から行政に影響を与えたり。良きにつけ悪しきにつけ、一線を引いたあとも世間の関心は高いもの。ゆえに塩崎氏の“隠居”後の去就もおおいに注目を集めていた。そんな中、ご本人がぶち上げた第2の人生の目的は、なんと「里親」として生きることだった。

 複数回の研修等を経た2022年2月、塩崎氏と妻・千枝子さん(71)夫妻は正式に愛媛県で里親として登録された。8月には児童養護施設に措置されている姉妹を夏期計画として受け入れ、今も交流を続けている。良い関係が構築されつつあると言うが、正式な里親マッチングはまだの状態だ。

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 2人の“里親デビュー”への思いと日本の里親制度の現状、そして課題を塩崎夫妻に聞いた。

驚きのセカンドライフを明かした、塩崎泰久さん Ⓒ文藝春秋/撮影・山元茂樹

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「里親って年齢制限あるの?」「ありません」と言われて

――まずは、里親登録をされた経緯を教えてください。

塩崎恭久氏(以下、塩崎) もともと僕は国会議員を辞めたら、地元・愛媛では初となる、里親を支援するためのフォスタリング機関(里親に対する包括的な支援を目的とする組織)を作るお手伝いをしようと思っていたんです。議員として制度を作ってきたので、今度はその制度を使ってみて使い勝手が悪いところを直していこうと考えていました。

 それを念頭に去年の5月ぐらいに児童相談所の職員と話していて、その終わり頃に何気なく「里親って年齢制限あるの?」と聞くと、「ありません」と言われた。「だったら僕でもできるんじゃないの」と聞くと、「そうですよ」と言うので、やってみたいなとその場で思いつきました。帰って妻にも聞いてみたら、「いいんじゃない」と一言で決まってしまった。それで地域の児童相談所に行って申請書をもらいました。

「里親」の選択をすることは、夫婦にとってごく自然なことだった Ⓒ文藝春秋/撮影・山元茂樹

――かなり急な話に聞こえますが、以前から里親になることについて話し合われていたのでしょうか。

塩崎 具体的にうちでやろうという意味合いで話したことはありませんでしたが、里親制度を含めた社会的養育についての話題が上ることは日常的なことでした。

 加えて、僕も妻もアメリカの高校でのホームステイ経験があります。アメリカでは人種なども関係なく、家庭に血の繋がりがない人を迎え入れて、ファミリーとして一緒に暮らすことがごく自然に行われている。だからそういうことに慣れ親しんでいる部分はあったと思います。