中山 最初は断ったんです。キラキラした世界への憧れはなくはないけど、自分がそこに立つイメージが湧かなかったんですよね。当時は今みたいにSNSとかもなかったから、芸能界はテレビの向こうの世界で、自分には関係のない場所だと思っていました。
あとは、芸能事務所のスカウトを装った悪い人もいるって噂を聞いていたから、ちょっと疑っていた(笑)。
でも、そのスカウトの人は私の不安を取り除くように、丁寧に話をしてくれたんです。近くの交番を指差して、「詐欺とかが不安なら、あの交番に行っておまわりさんに身分を証明してもらう。それからでもいいから、一度話を聞いてください」とも言ってくれて。そこまで言うなら、一度親に相談してみようかな、と。
芸能界デビュー直後は毎月1万円のお小遣い制だった
――ご両親の反応は?
中山 「少しでもやってみたい気持ちがあるなら、せっかくのチャンスだからチャレンジしてみたら?」と言われました。そのかわり、学生として最低限のルールだけはきちんと守るように約束しましたね。
――どのようなルールだったのですか。
中山 お仕事で遅くなるとき以外は門限までに帰宅するとか、成人するまではお仕事でいただいたお金を親が管理するとか。だから、20歳までお小遣い制だったんですよ。
高校1年生の夏から本格的にお仕事がスタートして、1年生の時にお小遣いが月1万円、2年生の時に月2万円でした。3年生になったら3万円になるかと思いきや……ならなかったです(笑)。
高校時代はお小遣いに余裕がなかったので、普段友だちと会うのはマクドナルドばっかり。バリューセットを食べながらおしゃべりするのが定番の遊びでしたね。
――1994年にデビュー後、高校生のときから『家なき子2』、『金田一少年の事件簿』といった人気ドラマや、『ポカリスエット』のCMに出演するようになりましたよね。
中山 最初はグラビアからのスタートでしたが、ありがたいことにドラマやCMなど、いろいろなジャンルのお仕事にチャレンジする機会をいただけるようになりました。でも、当時も今も私が自分から「これをやりたい」と手をあげることはあまりなくて。
特に10代の頃は、言い方はあまりよくないかもしれませんが、「言われるがまま」に仕事をしていました。右も左もわからない状態で芸能界に入ったから、目の前の仕事をこなすことに必死で。何かを「やりたい」と思える余裕までなかったんです。周りが使っている言葉さえ全然分からなかったですから。
――周りが使っている言葉とは?