“改善のトヨタ”の源流
今、トヨタで何が売れているのか? どの部品、言い換えれば足回りのどの部分が弱いのか? エンジンに問題があるのか? それとも部品の製造過程の“焼き”が甘いのか? それとももっと違う別のなにかが足りなかったのか? 工務部にいれば、トヨタの車の強み、弱みが手にとるように理解できた。それが理解できれば、後に残るのは“改善”だった。
栗岡は入社直後のある体験、ある言葉を今もはっきりと覚えている。新入社員たちがある一室に集められた時のことだ。彼らを待っていたのは当時の専務・豊田英二だった。後に社長、会長を歴任し、トヨタ自動車の“中興の祖”とも言われる人物である。新入社員が揃うと、窓際に佇んでいた英二は、一人呟くように言うのだった。
「昨日よりもいいことを……」
部屋は静まり返っていた。英二は誰に言うわけでもなく言葉を継ぐ。
「昨日よりもいいことをちょっとでも安く、あるいはちょっとでも材料を少なく……これができる方法を考えられなければ、人間いらんわなぁ」
英二の一言一句は、栗岡ら新入社員の背筋を伸ばすのに十分だった。独特な新入社員への訓示が終わると、英二は静かに部屋を出ていった。残された新入社員らは口々にこう言ったという。
「俺ら、人間じゃないかもしらんな……」
“改善のトヨタ”の源流は、英二の従兄弟である豊田喜一郎に発する。米国の自動車製造を学んだ喜一郎が油まみれになって自動車と“格闘”する姿を見て育った英二は、ある意味、トヨタ自動車の申し子だった。徹底して技術に拘り、徹底して経費削減に拘り、徹底して安心安全に拘った。
“昨日より少しでも安く、昨日より少しでの材料を少なく”
今もトヨタに脈々と流れるこのDNAを、英二はどこか演出含みのやり方で栗岡ら新入社員に教えたのだった。英二が蒔いた常に改善を思考し、改善を実行するという思考の“種”は、栗岡完爾の中で育まれていった。
栗岡が購買部長の時だった。すでに社長となっていた豊田英二にあることを相談する。「購買の立場から言うのは変なんですが、半導体の内製をやりたいんですが、どうでしょうか?」
英二はさして考えることなく答える。「ええんじゃないか」
英二のお墨付きをもらった栗岡は、生産技術の担当部長のところに飛んでいき、“半導体の内製”に取り掛かって欲しいと頼んだ。「僕がシリコンを調達してきますから」
改善への提案はどんなものであれ受け入れる。トヨタにはそういった社風がすでに根付いていた。まもなく栗岡の提案した「速度感応型ステアリング」に使う半導体の開発が始まった。半導体の内製という栗岡の発案は、やがてトヨタ本体から子会社「デンソー」へと移り、そして結実する。