甲高いエンジン音が、やがて勇ましい低音へと変わっていく。港で荷揚げされたコンテナの中から、1輛の戦車が姿を現した。キャタピラがゆっくりと回転するにつれて、冬の冷たくすんだ日差しの中にその威容が照り映える。人の背丈よりも少し高いくらい、戦車のイメージよりずっと小柄な姿のそれは、しかし無駄を省いた端正なデザインと圧倒的な重量感で“本物”の迫力を感じさせた。
12月某日、横浜に降り立ったこの戦車は、旧日本陸軍が太平洋戦争で採用した九五式軽戦車である。戦中までに2300輛も製造されたと言われている九五式軽戦車は、その役割を終えた戦後、世界各地へと散逸してしまった。
2004年にイギリスのコレクターの手に渡ってしまったのを最後に、国内には現存しない状況が続いていた。その戦車を取り戻そうと、民間のNPOがプロジェクトを立ち上げ、この日、18年ぶりに九五式軽戦車が祖国の地に帰ってきたのだった。
1台の戦車を日本に取り戻すのに、総額1億円もの費用が
「最初にこの戦車を買おうと思ったのは2004年のこと。海外に渡ってしまった戦車を日本に戻すために18年かかりました。多くの方の支援のおかげで、今日ようやく日本の戦車を“里帰り”させることができました」
ほっとした表情で語るのは、NPO法人「防衛技術博物館を創る会」の代表・小林雅彦さんである。イギリスに渡った日本の戦車の“里帰りプロジェクト”の主宰者でもある。
総額1億円もの費用がかけられたこのプロジェクト。困難は金額面だけではなかったと小林さんは語る。1台の戦車を日本に取り戻す、という一見単純に思えるプロジェクトには、数々の困難と偶然の積み重なりが隠されていたのだった。
密林に放置されていた戦車を京都の嵐山美術館が買い取る
九五式軽戦車は1935年に制式採用され、日本初の空冷ディーゼルエンジンを採用した小型戦車である。太平洋戦争を通じて各戦地で運用され、米軍などの大型戦車にはかなわなかったものの、中国大陸などにおいて主に白兵戦でその機動力を発揮した。日本軍においてもっとも生産された戦車である。
あらゆる戦線に投入されたがために、現地に放置された車両も多かったようだ。小林さんは今回里帰りした戦車の遍歴を振り返る。
「この九五式軽戦車は南洋諸島のポンペイ島で終戦を迎えました。連合国軍の上陸を免れた島だったので、砲撃を受けることなく密林に放置されることになりました。それが1981年に京都の嵐山美術館が買い取ったんです。本来ならここが終の棲家になるはずだったのですが……」