上級生を見かけたら、屋外なら6歩手前、屋内なら3歩手前で敬礼し、すれ違う際に挨拶して答礼を受けるまで挙手の姿勢を崩せない。最初は誰が先輩なのか分からないので、名札の色で判別するほかない。4年が赤、3年が黄、2年が緑、1年は白。名札に敬礼しているようなものだった。
居室の扉は常に開け放たれ、授業中に「週番」と呼ばれる当番の上級生が室内を抜き打ちチェックし、わずかでも整頓が行き届いていなければ、マットレスも戸棚の中身もひっくり返され、部屋のなかはカオスとなる。
週に1度の生活点検では衣類も入念にチェックされる。日々着用する作業服にシワひとつあってはならず、スプレー糊の「カンターチ」は必需品。乾燥後に大量に吹きつけ、体重をかけてアイロンを押しつけ畳む。すると折り目はカミソリのように鋭くなり、衝立のように立たせることができた。そのくらいしなければ再点検で他の時間が失われる。
上級生から「ミーティングに集合せよ」と言われると、1年生は震え上がった。日ごろの挨拶や整理整頓が「なってない!」などと一方的に半時間ほど叱りつけられる。口答えは許されず、泣き出す者もいた。
グルーピングへの違和感
防大40期女子1年生の逃げ場となったのは「乾燥室」だ。女性下着を干すそこだけは上級生が来ない。自室への持ち込みが禁止されていた漫画本やファッション誌などを物陰に隠した。
「校内で先輩に敬礼しても、受ける上級生の感覚にはずいぶん個人差があって、女子はぜんぜんできてないなどと言われる。その『女子は』っていうグルーピングに違和感があった」(弥頭)
新入生は上級生からの用事をこなすため秒刻みで常に走り回っていた。ただがむしゃらにその言いつけに従うのみ。戸惑いがあっても立ち止まることは許されず、怒りなど感じる暇がなかった。
なにせ防大の全学生約2000名のうち、わずか38名の女性だ。日ごろから弥頭は自分たちに向けられる視線がことさら険しく、そして好奇に満ちていることを意識せざるを得なかった。
角谷は女子学生入校後の男子学生の様子をこう思い起こす。
「当時の防大は体育会的なノリで、しょっちゅう腕立てとかさせられていた。でも『俺たちはその理不尽に耐えてやってきたからこそ今があるんだ』という感覚が一部の男子学生にはありましたね」
戦後の日本において、長らく男の独擅場となってきた軍事エリート養成校が防衛大学校である。女子の入校によって体罰は厳禁となったが、むしろ、それによって“武人”の気風や文化が殺がれるのではないか、という危機感が男子にはあった。