1992年、自衛隊の高級幹部を養成する「防衛大学校」に女子学生として初めて入学した1期生たち(防大40期)。当時、まだまだ女子を拒否するような防衛大の環境を、どう切り抜けたのか?
現在は陸上自衛隊1等陸佐である弥頭陽子氏のエピソードを、ノンフィクション作家・武田頼政氏の新刊『桜華 防衛大学校女子卒業生の戦い』より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
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防衛大女子の生活
防大生が暮らす「学生舎」は当時8棟あり、すべて4階建てだった。本部庁舎や記念講堂、図書館などのインフラが集中する学校中央部を基点に、各種運動競技場に沿って海側へと建ち並び、一個大隊につき2棟が居住スペースに充てられた。
女子の新入生38名が所属したのは第2大隊。6号舎の最上階が女子専用フロアとなった。
2人1部屋の居室にはベッド、ロッカー、机が並び、女子学生のために鏡が新たに据えられていた。テレビは各フロアの「家事室」と呼ばれる部屋にビデオデッキとともに1台だけ。やがて各自パソコンを所有する時代になると、テレビチューナーをさし込みこっそり受信するようになったが、その頃の防大生にとって娯楽番組など日常からほど遠かった。
起床時刻は午前6時半(当時)。ラッパとともに飛び起き、男子は上半身裸に、女子は白のTシャツ、どちらも作業ズボンに作業帽姿で学生舎の外に整列し、乾布摩擦を行う。1年生は点呼の後にトイレや洗面所などの清掃作業となる。年末の大掃除のように念入りな作業が毎日続くが、慣れれば10分間ほどで終えられた。
後に進級するにしたがい女子学生は4つの大隊に散らばり、それぞれ別の学生舎に越していった。春先の観音崎は時に猛烈な風が吹き荒れ、第4大隊が入居する海側の8号舎など、他の学生舎と比べて季節が異なるように感じられた。大学校中央部の本庁舎までの距離は数百メートルあり、少し手前の大浴場を徒歩で往復すれば、真冬だとすっかり冷め切ってしまう。
消灯時刻は平日が22時30分で休日前なら23時30分。試験前などで自習時間が足りないときは、事前に申し出れば最長で午前2時まで延長することができた。
防大生は1学年時に必ず「校友会」の運動部に所属しなければならない。このため自習時間を考えると、放課後の校友会の練習が長引けば食事と風呂は大急ぎだ。学生食堂で食事をかき込み、風呂は10分間で済ます。洗い髪にドライヤーをあてる暇もなく、濡れた頭髪で帽子を被り、急ぎ足で学生舎に戻った。
校外への外出は容易に許されず、休日でも1年生は制服姿でしか街を歩けない。平日は授業と訓練、そして校友会活動で多忙を極める。1年生は3歩以上移動するときは走るのが鉄則。「廊下は戦場」が防大の合い言葉だ。