「こんなに肩身の狭い思いをするくらいなら、どこかに転職するしかないのかな」

 航空自衛隊に務める女性が直面した「キャリアの終了」の危機とは? 航空自衛隊2等空佐の佐々木千尋氏のエピソードを、ノンフィクション作家・武田頼政氏の新刊『桜華 防衛大学校女子卒業生の戦い』より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)

航空自衛隊2等空佐の佐々木千尋氏はなぜ自衛隊を退職せずにすんだのか? ©文藝春秋

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軍事史を体現する場所・防衛省

 防衛省は皇居のお堀に面した東京の市ヶ谷台にある。ここは日本の軍事史を体現する場所だ。

 1874(明治7)年にこの地で創設された陸軍士官学校が、埼玉県朝霞市に移転したのは太平洋戦争が勃発した1941(昭和16)年10月。これに替わって千代田区永田町から越してきたのは、陸軍省と大本営陸軍部という軍の中枢組織だった。

 戦争に敗れると、陸海軍組織はGHQによってことごとく切り刻まれ、施設と装備はすべて接収された。1946年から2年半にわたる極東国際軍事裁判(東京裁判)は、ここ市ヶ谷の旧陸軍士官学校大講堂で開廷された。

 自衛隊が市ヶ谷駐屯地として使用しはじめたのは、GHQの接収が終了し、防衛庁自衛隊(当時)が発足したのと同時。防衛庁本庁舎が港区赤坂から今の市ヶ谷に移転したのは、2000年。「防衛省」に昇格したのはさらにその7年後のことだ。

 庁舎の建屋はA棟からF棟までの6つと、厚生棟によってなる。主庁舎となる19階建ての防衛省A棟はこの地区の中央にそびえ、その姿はまるで山城のよう。防衛大臣を頂点に、事務次官ら背広組の官僚が詰める内部部局があり、陸海空3自衛隊の各幕僚監部には、幕僚長以下、制服組の数多くの幕僚が執務している。

 地下1階から同4階までの地中深くに設置された中央指揮所では、有事になると緊急参集要員が一堂に会し、中継画面を見ながら全自衛隊部隊の戦況を掌握する。

 日本の近代史のなかでいつも国防の重要拠点であり続けているこの市ヶ谷は、多くの幹部自衛官にとって敷居が高い。高層棟を行き来するエレベーターは佐官ばかり。尉官や曹士の部下たちにかしずかれていた地方の基地や駐屯地ではありえないことだ。