『キャッツ・アイ』、『シティーハンター』など「週刊少年ジャンプ」で大ヒット作品を生み出したマンガ家の北条司先生。80年代にデビューし、まさに「ジャンプ」が黄金期を迎えようとするその真っ只中を支えた一人だ。
投稿による漫画賞の受賞から一気に連載、そしてヒットメーカーとして毎週締め切りに追われる日々に……と怒濤のような日々を送った先生だが、その作品には通底するものがあった――。
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“素人同然”から連載が…「俺、ここにいていいのかな?」
――北条先生は「ジャンプ」におけるご自身の立ち位置をどう考えていましたか?
北条 「俺、ここにいていいのかな?」という違和感はありましたね。そもそも連載させてもらえないと思っていましたから。読切が載ったあとも素人同然だったし、それがいきなり担当編集から「連載やるぞ」と言われて、大変でした。
――ほかの作家陣は意識されましたか?
北条 いやぁ、それまで「ジャンプ」はあんまり読んでいなかったんです。見本誌が送られてくるようになってから読むようになったけど、「みんな面白いなぁ」「よくこんな面白いこと考えつくなぁ」って、少し浮世離れしたところはあったのかもしれません。というか、自分のやっていることで精一杯でした。
「東京にあんなビルはありません」
――北条先生がデビューされた80年代初頭は、どのような状況でしたか?
北条 70年代の劇画ブームの影響がマンガ界全体に広がっていて、とにかくリアルじゃなきゃいけないという風潮が一般化していました。実際の場所や実在の車を描くとか。
『キャッツ・アイ』を描いているときに読者から「東京にあんなビルはありません」なんて手紙がきて、「そんなことも許されないの?」ってビックリした記憶があります。
いまはその傾向がもっと進んで「聖地巡礼」が行われてたりしますよね。でも僕は、マンガはもっとデタラメでいいと思っているんですよ。『シティーハンター』に出てくる新宿だって、駅と高層ビル以外の街並みは想像で描いてますからね。