レディ・C 仲の良い同僚の先生がすごくプロレス好きだったんですよ。毎日のように彼女からプロレスの話を聞いているうちに、「一度くらい観てみたいな」と思うようになりました。
たまたま早く帰れる日があって、ふと調べてみると後楽園ホールでちょうど新日本プロレスの大会が開催されてて。急いで会場に行って当日券で観戦してみたら、その一回で一気にドハマりしちゃって(笑)。前のいい席だったんですけど、体の大きな男性たちが命を削って戦って、観客席まで倒れ込んでくるんです……! その凄まじい勢いと迫力に圧倒されました。
――でも教師として激務をこなしながら、プロレス観戦を楽しむのは大変ですよね?
レディ・C それが、プロレスにハマってから自分のHP(体力)が一気に増えたんですよ。試合で元気をもらって、また試合を観たいから「早く仕事を終わらせて後楽園に行くぞ!」とがんばれる。週末は地方の大会に遠征したりして、友達もたくさんできました。人生でここまで何かに夢中になるのは初めてで、プロレスのおかげで活動的になれました。
プロレスラー転身に職場も混乱「一度落ち着いて考えよう」
――そこから自分もプロレスラーになったのは?
レディ・C より深くプロレスについて知るために、女子プロレス団体「スターダム」のワークショップに通うようになりました。自ら体験することで関節技の攻防なども理解できるようになって、「もっと知りたい! もっと知りたい!」と練習にのめり込むうちに、自分もリングに上がって戦いたい気持ちが強くなり、正式にスターダムの練習生となりました。
――それまで運動経験はありましたか?
レディ・C それが全然なんですよ……。腕立て伏せが一度もできないレベルからの練習生入りでした。毎日ひとりで泣きながら練習していたなぁ。親にも「向いていない」と言われたし、「このままデビューできないんじゃないか」と不安になる瞬間はありましたが、やっぱり私はプロレスラーになりたかった。その一心で、練習生の期間を乗り越えました。だからデビューできたときは達成感がすごくて、緊張の糸が切れたんでしょうね。デビュー戦の翌日に高熱を出して、2戦目をいきなり欠場してしまって申し訳なかったです(笑)。
――親には「向いていない」と言われたそうですが、プロレスラーになることについて、周囲の反応はどうでしたか?
レディ・C 私は特に運動経験もないので、職場も家族も「一体何を言い出したんだ」とびっくりしていました。職場の校長先生には、「一度落ち着いて考えよう」と言われましたよ(笑)。母親は「やりたいなら好きにすれば?」みたいな感じでしたが、父親は大反対。結局、「3年やって芽が出なかったら諦めます」と泣きながら土下座して、なんとか許してもらいました。
――泣きながら土下座ですか。
レディ・C すごく厳しい父親のように思われるかもしれませんが、父親も話し合いで泣いていました。わりと子どもの自主性に任せてくれる親ではあったんですが、さすがにプロレスはキャパを越えたみたいで……。私はあまり反抗期もなかったので、そのときが親との初めてのぶつかり合いだったかもしれません。そろそろ約束の3年になりますが、何も言ってこないってことは、父も認めてくれているのかな……と思ったりします。