白川 もともと歌手になりたかったんですが、いただいた名刺がグラビア事務所のものばかりだったので、「このジャンルで求められているってことなんだろう」と受け止めて、グラビアの世界に飛び込みました。ただ、最初の撮影では人前で水着になるのが本当にキツくて、初めてのDVD撮影では泣いてしまって……。
獣神サンダー・ライガーに感動「すごい人を見つけてしまった!」
――そうなんですね。でもグラビアからどうやってプロレスの世界に?
白川 芸能界で過ごしながら辛いことも経験している時に出会ったのがプロレスでした。友達に誘われて新日本プロレスの大会に行ってみたら、選手の方々が命をかけて戦う姿に本気で感動したんですよね。「私の悩みって小さいなー」と素直に感じて、活を入れてもらったような気持ちになれて。
――白川さんは獣神サンダー・ライガー選手の大ファンであることを公言していますよね。だいぶ上の世代の選手ですが、どういうきっかけでファンになったのでしょうか?
白川 プロレスを初めて観戦した帰り、「なんかプロレスってすごい! もっと観たい!」とわけもわからないままレンタルビデオ屋に行って、目についたDVDを借りたんですよ。それが「スーパーJカップ」(獣神サンダー・ライガーが発起人のプロレス興行)でした。ライガーさんは分厚い体なのに飛ぶし、マスクマンなのに感情がすごく伝わってくる。「これはすごい人を見つけてしまった……!」と思いました。
――プロレス好きグラドルとして、観戦コラムの執筆やイベントのMCなどの仕事もしていましたよね。いろんな団体からリングデビューのオファーがあったのでは?
白川 そうですね。リングの上への憧れはありつつも、プロレスラーへの尊敬の念が強すぎて、ずっとお断りしていました。それでも一歩踏み出せたのは、年齢的なことが理由です。グラドルって三十路が近くなると、「結婚はどうするの?」とか「そろそろグラビアは引退だね」とか周りにすごく言われるんですよ。でも、じゃあ私の夢はここで終わりなのかと想像してみたら絶対イヤだった。親にもすごく反対されましたが、何歳になってもチャレンジする道を選び、30歳でリングデビューしました。
尽きぬ海外興行の野心「ちっぽけな自分をさらに実感したい」
――初めは東京女子プロレスにレギュラー参戦していましたが、2020年10月からはスターダムへ。ここで主戦場を変えたのも、なかなかの挑戦だったように感じます。
白川 海外志向がどんどん強くなったんです。「海外で試合するためには、何か違う行動を起こしたほうがいいな。アメリカに移住してドサ回りでもしようかな」と真剣に考えているときにコロナ禍になって、「これはアメリカ行きは数年は無理だな」と感じたんですよね。国内から海外に発信するとなると、スターダムが海の向こうに一番近いんじゃないか。ここで勝負しなければ、と決断しました。だから10月にアメリカ遠征が実現したときは本当に夢のようで、現実感がなさすぎて逆に緊張しませんでした。
――国内でも多くのファンを持つ白川さんが、ドサ回りしてでも海外デビューを目指すのはどうしてですか?
白川 生きているあいだに、たくさんの人間と出会いたいんです。日本は大好きだけど、そこだけの価値観にはなりたくない。視野が広がったら、ちっぽけな自分をさらに実感できると思っています。結局、世界はひとつですからね!