『憐憫』(島本理生 著)朝日新聞出版

 27歳。今から振り返れば若く不安定で、そのかわりに如何様にも変化し得るしなやかさがあった。仕事や街によっては既に成功を掴んでいる者がいるだけに、諦めや惰性を感じる者も増える。若さや外形的な魅力が消費されるような立場であれば尚更、ここで留まることができても上昇することはないような気持ちにすらなる、そんな年齢。

 子役として芸能界に入ったものの、体調や環境によるブランクもあって成功を掴みきれなかった主人公の沙良は27歳の女優だ。テレビ局員と結婚し、生活は安定しているものの、目立つ仕事は減り、情熱を傾ける先もないまま年齢は積み重なってゆく。「生きていくことはごく自然に傷むこと」。職業柄、身体の傷や年齢による変化でさえ苦痛や後悔となる。

 行き詰まりを感じながら女友達や事務所の後輩と飲み歩く生活の中、沙良は足を踏み入れた出会い系バーで男と出会う。関係への欲望や実際の年齢すらはっきり言わない男とは、2度目に会ってホテルに入ってから逢瀬を重ね、核心的なこと以外の多くの言葉を交わすようになる。その外で生活自体は続く。どこか人を舐めているような夫の言葉の端々に引っかかり、意思疎通がうまくいかないマネージャーに苛立ち、家族の嫌な記憶や過去の恋人の暴力的な言動に悩まされる。

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 名付けられない男との時間は、交わした言葉と彼の仕草が淡々と描写される。最初に会った時も、失いかけて再会した六本木の夜でも、沙良の男に対する感情は「綺麗」と感じる以上のことはない。一方、彼との関係の外では沙良は残酷な事実を言い当てる。「人間は簡単ではないことを知って」見る世界は、正しさで説き伏せられない現実に溢れている。かつて27歳だった女として、あるいは多少なりとも性別や外形的な特徴を消費されたことのある者として、共有できる痛みにいくつも遭遇する。

 男との関係はやがて転機を迎える。世界が少しはっきりと見え出した沙良の仕事にも家庭にも、波がやって来る。波を通り抜けた後、かつて27歳の所在ない心身と、その心身を痛めつける多くのものを抱えていた彼女はずっと「善い」形をしている。世間的にも自分のためにも正しい選択ができたから。

 利用した? そうとも言う。騙されていた? 都合の良い男? あらゆる方法で彼との関係を名付けることはできる。だからなに? と思う。人の価値を乱暴に仕分けするような芸能界で、あるのかないのか分からない適性と事情を抱えて生きるために、自分を補完してくれるものは必要だった。それは出会い系バーで運命的に出会った男ではなく、たまたま落ちていた自分に少し似た形の箱の中に、沙良自身が作り出した、傷んでいく自分を整えるためのものだったように思う。

しまもとりお/1983年、東京都生まれ。2003年『リトル・バイ・リトル』で野間文芸新人賞、15年『Red』で島清恋愛文学賞、18年『ファーストラヴ』で直木賞を受賞。著書に『ナラタージュ』『星のように離れて雨のように散った』など。
 

すずきすずみ/1983年生まれ。東京都出身。作家。著書に『非・絶滅男女図鑑』『娼婦の本棚』『ギフテッド』など。