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350人前の但馬牛肉を8分で完売、YouTubeは400万再生超え…「異色すぎる牛飼い」が畜産業界に起こした“革命”

『稀食満面 そこにしかない「食の可能性」を巡る旅』より #2

2022/12/29
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「放牧牛パートナー制度」の告知は、ブログで行った。

「店舗を持つのはお金がかかるので、支援者を募ろうと考えました。それをやるには、インターネットのほうが自分の思いを伝えやすかったんですよね。自分がやりたいことをずっと書いてきたベースがあったんで、インターネットで販売することしか考えてなかったです」

 クラウドファンディングのはしりともいえる先進的な取り組みに応募したのは、18人。

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 予想以上の手応えを得た田中さんは、繁殖、削蹄の仕事をしながら、より一層、放牧にも力を入れるようになった。その活動は注目を集め、メディアにも取り上げられた。

「周りの畜産農家さんからは、お前アホかってバカにされたし、肉もおいしくないはずだと言われたし、とにかくすごく叩かれました。でも、なにかやりたいと思ったら突き進んじゃうタイプなんです。当時は若かったので、これが普及すれば日本の畜産は変わるはずだ、僕が新しい牛肉を作ろうという青い使命感でやってましたね」

 ここで一度、時系列を整理しよう。2006年末には借金の返済で首が回らなくなりかけ、兄弟子のおかげで削蹄師の仕事をイチから学び始めた。翌年には繁殖農家、削蹄師を掛け持ちしながら結婚し、次の年には子どもが生まれた。その年、精肉部門を設立、畜産業界の仕組みに一石を投じる「放牧牛パートナー制度」をスタートさせ、一躍、脚光を浴びるようになったものの、地元では白い目で見られるようになってしまった。

 公私ともに、ずいぶん情報量が多いだろう。まさに全力ダッシュで駆け抜けるような日々のなかで、就農してからずっと張りつめていた緊張の糸が、ある日、ぷつりと切れた。

写真はイメージです ©iStock.com

「もう一回、牛飼いをやり直した感じ」

 2011年秋、うつ病を患った。不眠になり、なんのやる気も出ず、体を起こすことも難しかった。唯一できたのは、寝転がって漫画を読むこと。

「僕、中学の時、いじめられっ子だったんですよ。だから、いつか見返してやるっていうエネルギーがむちゃくちゃ大きくって、だからこそ、借金するのも怖くなかったし、お金がないときも歯を食いしばってやれたっていうのは正直あって。でも、そのエネルギーが強すぎて、足元が見えなくなりました。珍しい取り組みをしていたからか、20代の後半頃からいろんな人に『すごい、すごい』と言われるようになって。だけど、名前だけ売れて、中身が伴ってなかった。そのちぐはぐのなかでうつ病になって、本当になにもできなくなりました」

 うつ病の治療中は、妻のあつみさんがひとりで牛の世話をし、子牛を市場に出荷する時は削蹄の兄弟子が手伝ってくれた。当然、もどかしく感じるが、体が言うことを聞かない。

 なにもかも嫌気がさして薬を飲みすぎ、危険な状態になってしまったこともあった。田中さんを救ったのは、その時のあつみさんの一言だった。

「なにもしなくていいから。漫画を読んでるだけでいいから。生きててくれたら、それでいい」

 この言葉を聞いた瞬間、肩の荷がすっと下りた気がしたという。