2021年、それまでの日本記録を大幅に更新する“売上5億2000万”を達成したホスト・降矢まさき氏。建築会社を経営していた一人の男は、8年前に26歳でホスト業界に飛び込み、どんな道を歩んでNo.1になったのか――。
ここでは、降矢氏が営業から人材育成まで自らの「仕事論」を明かした『日本一「嫌われない男」の億を売る仕事術』(扶桑社)より一部を抜粋。「嫌われたくない」という気持ちが芽生えた幼少期の思い出、そして新人ホスト時代の「犬になった」経験を紹介する。(全2回の1回目/2回目に続く)
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母親が働くお店で得た、ホストに欠かせない鋭い観察力
億を超える金額を稼ぐには、さまざまなスキルが求められます。
特に、女性に楽しい気分に浸ってもらいながら、美味しいお酒をたくさん飲んでもらうのがホストの仕事である以上、女性のニーズを見抜く「鋭い洞察力」は欠かせません。顧客のニーズに応えるという意味では、現代のビジネスマンにも通用するスキルと断言できます。僕がこの洞察力を鍛えることができたのは、「人に嫌われたくない」という性格が大きく関係しています。少し生い立ちを振り返らせてください。
東京都豊島区池袋にある病院で生まれてすぐ、僕は茨城県日立市へ引っ越しました。小学校3年のときに、母親と再婚した義父との間に9歳下の弟ができましたが、実父の顔を憶えていません。書類上に名が存在するだけです。母親の言うところでは、僕は実父からDV被害に遭っていて、それが離婚した理由の一つでもあったそうです。
僕の母親は、風俗嬢。日立市内にある風俗店を転々としていたので、保育園、あるいは母親の働くお店などが幼少期の自分にとっての遊び場でした。同い年の友達はできず、いつも周りにいるのは大人の女性ばかり。母親とその友達は、夜な夜な酒盛り。僕は彼女たちに手を引かれて、ある時は居酒屋に、またある時はスナックに連れ回される。そんな日常でした。
5歳前後の子供ですから、自分ひとりで生きていく力強さなんて備わっていません。「この、クソガキ」と、彼女たちの機嫌を少しでも損ねたら、そこから先は「絶望」の時間が待っています。
嫌われたくない。
彼女たちの顔色を窺い、どうしたらお菓子を買ってもらえるかばかりを考えていた、そんな幼少期でした。小学校に進学する頃にはもう、あんなことを言ってしまったとか、過剰に空気を読んでしまうところがありました。
中学校に進学すると、居場所を失うリスクはなくなりましたが、僕が育った街はお世辞にも治安の良い場所とは言えませんでした。先輩に目をつけられると訳もなく殴られる日々です。だから、「彼らが何を求めているか、最初に気づく人間であれ」と常に考えながら生活をしていました。先輩が少しでも不機嫌そうなら真っ先に駆け寄って、「何かありましたか?」と声をかける。これが、安全に過ごすすべでした。最低の環境で育ちましたが、この「嫌われたくない」という気持ちが育んだ洞察力こそ、僕の武器であるのは間違いありません。