カリスマの犬になることがNo.1への近道である
話を新人時代に戻しましょう。僕が勝負すると決めた場所、それがホストの聖地と呼ばれる新宿・歌舞伎町です。最短で成り上がるなら、お金、人、情報が集まってくるNo.1のエリアというのは合理的だと考えました。
歌舞伎町には数えるのが苦になるほどのホストクラブがありますが、そのほとんどのお店が、ゴジラ像がそびえる新宿東宝ビル(旧新宿コマ劇場)の裏にある歌舞伎町2丁目の一角にひしめき合っています。花道通りには、ホストのお店やキャストを紹介する「ホスト看板」が並んでいます。壮観ですし、売れっ子ホストのご尊顔やユニークなキャッチフレーズなど、個性的な看板を眺めるだけでも面白い。ぜひ、観光に訪れた際は立ち寄ってほしいです。
また、原色のネオンが氾濫し、煌々と輝き始める午後7時頃になれば、若い女性たちが看板の前に集まってホストクラブというか、ホストを物色しています。眠らない夜が始まります。
この歌舞伎町で、僕がホストになったのが26歳のときです。今でこそ30代のサラリーマンホストやシニアホストもいますが、当時のホストとしては高齢の部類。自分に残された時間は少ないと判断しました。ここで活きたのが、建築会社時代にお世話になった、薬漬けのボスから学んだ超合理的な思考です。
ホストになるために茨城県日立市から上京した僕は、「誰だ、お前は?」とツッコまれるくらい、知名度のまったくないホストです。そんな自分にお金を使ってもらえるとは思っていませんでした。だから、まずは先輩の仕事ぶりを観て学ぶしかない。じゃあ、どんな人から学びたいのかってなる。それが当時、次々と朝営業のお店が衰退していくという悪条件のなかで、物凄い勢いで売り上げを伸ばし、歌舞伎町でも一目置かれていた渋谷奈槻さんです。
奈槻さんとの出会いは、いま思い出すだけでも鳥肌が立ちます。お店の奥にあるキッチンで、歯ブラシを口に突っ込みながら振り返った奈槻さんに、「雑誌に出ていたホスト募集の広告を見て来ました」と挨拶をしました。膨らんだ頬は可愛かったけど、何かに取り憑かれたような鋭い目と、ただならぬカリスマ性に、僕の心は一瞬にして持っていかれました。「ここなら僕のホスト人生がきっと開かれる」。そう、直感しました。このお店で一番売れている「先輩の犬」になろう、トップの技術を盗もうと即決めました。
もうひとつ、奈槻さんに狙いを定めた理由があります。それは、カリスマ性のあるホストが持つ世界観やセンスを肌で感じるためです。自分が成り上がったときに、「どう振る舞ったらいいのだろう」と狼狽していたら、下から追い上げてくるライバルたちに抜かれてしまいます。
どんな仕事でもそうですが、ポジションが勝手に向こうから歩み寄ってくれることはありません。課長には課長の、部長には部長の、No.1にはNo.1の、立ち位置ごとに求められる資質やスキルは必ずあります。たどり着きたいポストがあるなら、こちら側から準備を整えていかないと、手繰り寄せることなんてまずできません。裏を返せば、ホストの場合、準備が整ったヤツから順番に売れていくのです。
今でこそ、こんなに偉そうなことをふんぞり返ってどや顔で言っている僕ですが、最初はホストにもなれない雑用係での採用でした。しかも許されたのは、たった週3日の出勤です。年齢も年齢だったので、すぐ辞めると思われていたのかもしれません。完全に戦力外扱いでした。でも僕は、買い物や掃除を必死でこなし、3か月後にようやくキャスト(ホスト)になることができたのです。
ご主人様に呼び出されるために常に「ハウス」で待機する
給料がほぼない新人ホストは寮に入るのが一般的です。しかし、ホストとして働くことが決まってすぐに僕は、店から徒歩5分くらいのところにある賃貸マンションを借りて、そこからお店に出勤していました。それは、なぜか。
好きな人や尊敬する人に自分から歩み寄って、翻弄させられる分にはストレスになりません。ですが、寮にはルールや規則、そして関わり合いたくない先輩との付き合いもあります。“遺伝子は、環境的な刺激を受けると変化して、より環境に適応した状態になっていく”と言われているので、「稼げないマインド」に振り回されたくなかったし、自分の大切な時間も犠牲にしたくありませんでした。ダメなヤツを身の回りから徹底的に排除するのも、合理的な判断といえます。
それに、呼ばれたら、息を切らせながら笑顔ですぐに駆けつけないと、ご主人様は拗ねてしまいます。だから、いつ呼ばれてもいい場所にハウスを構えないといけません。新人は徹底的に犬になるのが、ノウハウを盗む最高の手段です。