じつは、由貴子の死体が発見された現場の周辺で行われた聞き込み捜査によって、この頃には、火の手が上がった際の目撃者の証言を得られていた。それは次のようなものだった。
「火のそばに小柄な女が立っているのを見ました。人がいるので火事ではなく、たき火をしているのだと思い、通り過ぎたところ、そこから10メートルくらい離れた場所にジープが停められていて、運転席には人が乗っていました」
*
「俺はなにも知らない」
死体発見から5日後の早朝、県警の任意同行に応じて取り調べを受けた久田は、頑なに犯行を否認した。
しかし、証拠を小出しにされながら、取調官によって人の道を説かれていくうちに、久田は突然泣き崩れ、涙ながらに自供を始めたのである。とはいえ、久田は由貴子との男女の関係については認めたが、事件の経過の説明になると、我が身かわいさの嘘が数多く見られた。
久田は、由貴子が性病にかかったことをきっかけに異常行動をとるようになり、自分は彼女から言われるままに両手を縛り、タオルを口に押し込んだに過ぎない、との供述を繰り返したのである。
取調官はそのたびに矛盾点を追及し、内容を正していく。結果として、久田が全面自供に転じるまでに、逮捕から17日間を要したのだった。
教え子を風俗の道へ巧みに誘導
高校を卒業した由貴子が久田と街で偶然に再会したのは、彼女が19歳のとき。そこで久田は「由貴子は男に騙されやすいから、とても心配だ」と優しく声をかけ、「何かあったら連絡してきなさい」と、元恩師らしい言葉を口にしていた。
しかし、それから数カ月後、仕事をしても給料が安く、「おカネが少しも貯まらない」と愚痴をこぼす由貴子に対して、久田は「泥にまみれて、風俗嬢になって稼ぐしかない」とアドバイスしていたのである。
その言葉を真に受けた由貴子は、昭和59年1月にはR市内の風俗店に職を求め、風俗嬢として働くことになった。
当初から久田を信頼していた由貴子は、「お店で稼いだおカネを貯金してほしい」と、売り上げの大半を久田に預け、彼はそれを自分名義の口座に貯めていた。
「少しなら使っていいよ」
由貴子のその言葉に甘えた久田は、車の買い替えのための頭金や、他の女との遊興費など、贅沢三昧の生活を送るようになる。久田は同僚の女教師や、かつての教え子であった奈美など、複数の女性と親密な関係となり、ついには由貴子から預かっていた約2000万円のほとんどを、使い込んでしまったのだった。
そのことを薄々感じていた由貴子は、「誰かとデートして使っているんでしょ。私は知ってた」などと、久田に皮肉を言うようになる。さらには、「私と一緒に東京に行かない? いまよりもいい生活になるし、先生はなにもせずに、好きなことをしてればいいよ」との誘いを持ちかけるようにもなった。
やがて由貴子の言動は、さらにエスカレートする。