大川 ジャニーズには小学生や中学生など常に若い子が入ってきますから、20歳はもうおっさんです(笑)。例えば甲子園なら高校3年間という期限があるけれど、当時のジャニーズには年齢制限もなかったので、夢を追おうと思ったらいつまでもできてしまう。
――だからご自分の中で区切りを設けようと。
大川 個人で俳優の仕事をいただく中で、演技の面白さにも目覚めていったので、20歳という節目を機に、俳優になるために退所を決めました。こう言うと、風間俊介さんや生田斗真さんのようにジャニーズにいても俳優として活躍している人はいると突っ込まれるのですが(笑)。
ジャニーさんに電話で退所を報告「頑張ってね、と…」
――それは狭き門だということですよね。
大川 よく「7年間もいたのにもったいない」と言われますが、僕だってできることならジャニーズをやめずに俳優として活躍したかったし、できることならデビューしたかった(笑)。でもたくさんのスターたちの後ろで踊らせてもらって、彼らの歌やダンスのうまさ、カッコよさ、面白さを間近で見てきたからこそ、デビューが難しいということは自分が一番よくわかっていました。当時の自分にはやめる以外の選択肢が見つからなかったんです。
――辞める時は、ジャニーさんにも報告したんですか?
大川 電話で報告しました。「なんで辞めるの?」と聞かれたので、「役者になります」と言ったら、「頑張ってね、気が向いたら戻ってきてね」と。本当に戻れるのかな?と思いながら(笑)。
――円満退所だったんですね。退所後は俳優を目指して一からスタートしたのでしょうか。
大川 一からどころか、ゼロからのスタートです。辞めてから、ジャニーズ事務所の偉大さを思い知りました。『渡る世間は鬼ばかり』に出ていた僕が、退所後に初めて掴んだ仕事は150人ぐらいの小劇場で公演される舞台の、出番がほんのワンシーンの脇役。それもダブルキャストの一人。リスタート感が半端じゃなかったです。そもそも、僕はジャニーズ時代に演技の勉強をしたことがなくて。