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「V6の森田くんと三宅くんが爆笑してくれて…」売れないダンサーだったパークマンサー(44)が『学校へ行こう!』で“スターになった日”

パークマンサーさんインタビュー #1

2022/12/31

genre : エンタメ, 芸能

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パーク いや、大学1年生の10月くらいまでは何もしていなかったんです。本当はキムタクを目指して日本で一番イケてる男になるはずだったのに、気付いたらアットホームなサークルに入って、のんびりしたどうしようもない大学生活を送っていて。せっかく富山から出てきたのに、“東京に負けている自分”がいたんです。

 でもある日、「オイラの東京ライフはこんなはずじゃない! とにかく何か行動を起こさなければ」と思い立って、ダンススクールに飛び込みました。

 

自分もキラキラしていると勘違いするようになっていった

――もともとダンスをやっていたのですか。

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パーク 小学6年生からダンスをやっていました。子どもの頃は『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の「ダンス甲子園」をずっと観ていて、それに影響されたんです。

 大学1年でダンススクールに入ったあとは、ひたすら“ダンスのみ”の生活を送るようになりました。そのスクールで出会ったダンスの師匠が、のちに今のLDH(EXILEなどが所属している芸能事務所)を立ち上げたメンバーの1人なんですよね。

――大学を卒業してからもダンスを続けたのですか?

パーク そもそも、就活を全くしなかったんですよ。「就活って何をすればいいの!?」みたいな感じで何もせず……。

 ちょうどその時期に、師匠の仕事のアシスタントで、アーティストのミュージックビデオの振り付けやダンスレッスンに携わるようになって。少しずつ芸能界に関わるようになっていきました。

 しかも師匠たちのもとには、毎晩のようにすごい芸能人が集まっていて。キラキラした人たちを近くで見ていたら、自分もキラキラしていると勘違いするようになっていったんです。だから師匠から離れたくなくて、とにかくダンスだけは続けました。

 

“おもしろダンス”がきっかけで「パークマンサー」の原型が誕生

――パークさんのダンスの師匠はすごい方だったんですね。

パーク 師匠は元ZOO Jr.(後のDEER)のメンバーで、EXILEのHIROさんの弟分なんです。当時、師匠とのつながりで16ビートのダンスを学ぶために、HIROさんのダンススクールに通うことになりました。

 そんなある日、HIROさんや師匠たちと中目黒のカラオケバーで飲んでいるとき、オイラが師匠のダンスを面白おかしく真似したんです。そしたらHIROさんが「やべえじゃん!」ってめちゃくちゃ笑ってくれて。それがすごく嬉しかった。

 そのときに、「今まではキラキラしたキムタクを目指していたけど、自分は人を笑わせるほうが向いているのかも」と自分の立ち位置を見つけて、そこから“おもしろダンス”を始めるようになりました。

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