もっとも、ジェイコブ・キップが指摘するように、核兵器によるエスカレーション抑止型核使用は、紛争が極限までエスカレートした場合に限られていた用の敷居を大幅に引き下げる点で危険性を孕んだものでもあった(Kipp,May︲June 2001)。
しかも、2010年代以降、ロシアのエスカレーション抑止型核使用に懸念を募らせた米国は、トライデントⅡD‐5潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)に出力を抑えた核弾頭(W78‐2)を搭載しておき、ロシアの限定核使用には同程度の核使用で応えるという戦略を採用している。
つまり、ロシアがウクライナに対して「加減された損害」を与えた場合には、これと同等の損害が自国にも返ってくる可能性があるということであり、そうなった場合には全面核戦争へのエスカレーションさえ覚悟せねばならなくなるだろう。ウクライナを攻めあぐねるロシアがそれでも限定核使用を決断できない理由が、おそらくこれだと思われる。
また、それゆえにロシアもエスカレーション抑止型核使用を公式の核戦略として採用しているわけではなく、そのような可能性を示唆することで脅しとするための心理戦ではないかという見方が従来から西側の専門家の間で広く持たれてきた(Durkalec,2015)。
核のメッセージング
最後の参戦阻止シナリオも、ほぼ同様のリスクを抱えている。この場合、核兵器はまだ参戦していない大国へのメッセージングを目的として使用されるものであるから、これは核戦略用語でいう「先行使用(first use)」ではなく「予防攻撃(preemptive strike)」に相当しよう。
前者は通常兵器による戦闘が始まっている中で先に核使用を行うことを意味するのに対し、後者はまだメッセージの受け取り手とは戦争が始まっていない段階で核使用に踏み切ることを意味するからだ。
こうした核戦略がロシア軍の中でいつ頃から生まれてきたのかははっきりしないが、国際的な注目を集めたのは、2009年10月に『イズヴェスチヤ』紙が行ったニコライ・パトルシェフ国家安全保障会議書記へのインタビュー(Мамонтов,2009.10.14.)であった。
今後の軍事ドクトリンにおいては、武力紛争や局地戦争(ロシアの軍事ドクトリンは、戦争を規模や烈度によって四つに分類しており、この二つは最も規模・烈度の小さなものとされている)でも予防的に核使用を行うことを想定すべきだ、というのである。つまりはロシアが行う小規模な軍事介入を西側が実力で阻止しようとした場合、核兵器を使って警告を与えるという考え方と解釈できよう(Kroenig,February︲March 2015)。