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ウタの革命の結末に賛否が分かれた理由

 実は、映画『ONE PIECE FILM RED』をめぐっては、SNSで小さな「場外乱闘」も起きている。それは(映画のネタバレにはなるが)ウタの革命と理想が映画の中では最後に敗れ去るからだ。「右翼的だ」「反リベラル、反フェミニズム、反共的だ」映画の中でそんな政治用語はひとつも使われていないにも関わらず、そうした激しい批判が映画に加えられている。

 その批判はある意味では敏感に「今、僕らが作りたいキャラクターはこいつだ!!」という言葉とともに尾田栄一郎が作り出したウタという少女に投影されたものが、新しい価値観であることを正しく感じ取ったものではある。

 日本アニメの中心にある少年ジャンプ文化に対して、欧米のアニメーションで起きる価値観の刷新、ディズニー文化を対置するように、尾田栄一郎は自らに刃を向けるようにウタという少女の思想と革命を描いていく。だからこそ、最終的にウタの革命が勝利をおさめないストーリーに反発が起きる。

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©時事通信社

 だが「反リベラル、反フェミニズム、反共的だ」という批判に同意できないのは、本当に尾田栄一郎が映画の中でウタの思想と革命を完全に否定し、憎むべき悪役としてウタを描いているのなら、これほど多くの観客がウタという少女に魅せられ、主役のルフィたちをさしおいて紅白歌合戦に出場する人気を博すことなどありえないからだ。

 映画の中で、確かに「新時代」を目指すウタの革命は挫折する。人の心をひとつにまとめ、すべての暴力を排除した世界は、皮肉にもディストピアに近づくからだ。宮崎駿が漫画版の『風の谷のナウシカ』のラストの墓所で、庵野秀明が旧劇場版『エヴァンゲリオン』の人類補完計画で描いた世界と、ウタの新世界は明らかに通じている。

 ウタは大衆との乖離に苛立ち、無意識の眠りから隔離された疲弊に倒れていく。最高度に発達したリベラリズムはファシズムと見分けがつかない、というアイロニーはある面では現代を鋭くえぐっており、だからこそ激しく賛否が分かれるのだろう。