だが、映画の中でウタの革命は失敗するにも関わらず、彼女の価値観と輝きは最後まで失われない。「新時代」を作ろうとするウタと海賊たちの物語の決着は、『FILM RED』の中ではまだついていないのだ。尾田栄一郎はこの映画を、ルフィたちが勝ちウタが敗れる、ジャンプが正しくディズニーは欺瞞だ、という物語として描いてはいない。
ウタに対して海賊の思想と旗を掲げつつ、しかし本当にそれだけでいいのか、という疑いを含むからこそ、ラストシーンでのルフィの表情は少年マンガとは思えないほどシリアスで暗く、映画は豊かな余韻をもって終わる。それは新しい価値観と古い価値観の相剋と包摂を描いた、とても優れた物語に見える。
22歳だった作者・尾田栄一郎が宣言したこと
記録を塗り替えるような映画の大ヒットによって、ワンピースというコンテンツはさらに新しい観客を獲得し、大きく育つ。にもかかわらず、尾田栄一郎によれば、原作の物語はすぐに終わるわけではないが、いよいよ最終章に入ると宣言されている。
たぶん、ワンピースという作品と尾田栄一郎という作家は、あまりにも上の世代から過小評価されてきたのかもしれない。その桁外れのヒットと長期にわたって落ちない人気にも関わらず、上の世代のカリスマコミックに比べ、一般受けするワンピースは、ともすると深みに欠けるかのように揶揄され軽視されてきた。
だがそうではない。この作家は、25年前に20歳そこそこでこの物語を描き始めた時から、この物語を全世界を詰め込んだ寓話にするのだ、という途方もない野心を抱いて描き続けてきた。
「世界政府」という、過去の偉人たちが国家戦争の悲惨を抜け出すために構想した架空の機構が既に実現した世界から物語が始まることも、菅原文太をはじめとする昭和のアウトロー男性の象徴を模試したキャラクターが海軍として体制側になっていることも、物語が作品世界の歴史と構造を明かし始めた今となれば、最初から意図を持って描かれていたように思える。
それを読み取らずに冷笑してきたのは、上の世代の落ち度なのだ。
年末、紅白歌合戦を通して、さらにウタというキャラクターを多くの人が知るだろう。多くの子どもたちが、ディズニープリンセスやアメリカンコミック映画のヒロインではなく、ウタという少女を通して新しい価値観と古い価値観の軋轢に出会い、そして少年ジャンプというこの国のマンガ文化の中心で語られる尾田栄一郎の物語、「ひとつながり」の全体小説としての少年漫画、ワンピースの1ページ目を新しい読者たちが開き始めるだろう。
彼は25年前、連載の第一話、その1ページ目からそのことを宣言していたのだ。「探してみろ この世の全てをそこに置いてきた」。そして50歳に近づく尾田栄一郎は、22歳でこの物語を描き始めた若き日の自分との約束を、いま果たそうとしている。
2022/12/31 11:42……表記の間違いをお詫びして修正します。
タイトル・小見出し「ルフィー」→「ルフィ」
4P目 段落の重複