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ドライブスルー形式の台頭も

 加えて、テキヤの知人の場合はヒラビの営業のため、地元のスーパーや自治体のイベント担当者に営業を掛けていた。さらに、売り方を活かす店舗づくりのために、大工の学校で学びなおしをしている。庭場の外で為される既成の枠組みに囚われない様々な挑戦が、今まで馴染みのない未開拓分野における活動が、コロナ禍後のテキヤを存続させる道なのかもしれない。

 コロナ禍で都市がマヒしたその年から、キッチンカーやドライブスルー形式のバイが散見されるようになった。この形式は、本書の取材中に関東でも見かけた。高速道路のパーキングエリアなどでは、キッチンカーが並んでバイをしている。九州では、「福岡市のドライブスルー形式のバイを皮切りに、福岡市に近い久留米市や鳥栖市でも開催された」(「西日本新聞」2020年6月9日)。

注釈 「確かに暴力団と深い関わりをもつ神農会の会長や一家の長がいることは否定しない。しかし実情はその地方、あるいはその一家の長として地元の露店商はもとより旅かけてはるばる遠方より来た同業者が穏やかなる営業が出来るようにとの願いから関係諸官庁への書類の提出はもとより地元暴力団とのツナギ(話し合い)を取り、表面上は友好関係を結び一般露店商の保護にあたり、暴力常習者などの理不尽な『ユスリ』『タカリ』を抑止するための一種の防波堤の役目を担っているのが真実の姿である」(北園忠治『香具師はつらいよ』葦書房、1990年、26~27頁)。

 

 昭和59年(1984年)2月、東京都新宿区のホテルで、関東に本拠を持つテキヤ(合同食事会の後に、大同団結して関東神農同志会を結成する)と関東二十日会(博徒系暴力団)の親睦団体が、親睦と友好のために、合同食事会を開催した。神農(テキヤ側)と関東二十日会の代表者60人強が出席したといわれている。以後毎年1回、関東神農同志会と関東二十日会の合同食事会が開催されるようになった。この団結の趣旨も、マチガイ(偶発的な衝突等)を事前に防ぐという意図があったと聞いた。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。